海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

運び屋/The Mule

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巨匠クリント・イーストウッドが自身の監督作では10年ぶりに銀幕復帰を果たして主演を務め、87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の報道記事をもとに、長年にわたり麻薬の運び屋をしていた孤独な老人の姿を描いたドラマ。家族をないがしろに仕事一筋で生きてきたアール・ストーンだったが、いまは金もなく、孤独な90歳の老人になっていた。商売に失敗して自宅も差し押さえられて途方に暮れていたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられたアールは、簡単な仕事だと思って依頼を引き受けたが、実はその仕事は、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった。脚本は「グラン・トリノ」のニック・シェンクイーストウッドは「人生の特等席」以来6年ぶり、自身の監督作では「グラン・トリノ」以来10年ぶりに俳優として出演も果たした。共演は、アールを追い込んでいく麻薬捜査官役で「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパーのほか、ローレンス・フィッシュバーンアンディ・ガルシアら実力派が集結。イーストウッドの実娘アリソン・イーストウッドも出演している。(https://eiga.com/movie/90319/より)

9.2/10.0

御年90とは思えない制作意欲で映画を撮りまくっているイーストウッド御大だが、大傑作『グラン・トリノ』以来についに自らを主演に映画を。*1

イーストウッド信者の自覚があるので、贔屓目な文章であることをご容赦いただきたいが、またしてもこれまでの彼のフィルモグラフィーにない手触りの作品を作り上げており、彼の底知れぬクリエイティビティに舌を巻いている。

本作はモデルとなった運び屋がいるのだが、彼自身が身の上話をしない人物だったようなのでクリントは自分の人生を少なからず投影させた物語になっている。*2
彼が演じるのは家族を顧みず仕事(百合の栽培)に身を費やし、社交の場ではナンパを嗜むヨボヨボの爺さんだ……。『グラン・トリノ』の、頑固だけども高潔な紳士でスクリーンの有終の美を飾っておけばいいものの、多くの婚外子をもうけた彼の素顔がどうしてもチラついてしまう
映画冒頭からすごい。クリント演じるアールは百合の品評会の会場に出向き、来場しているご婦人方に「美人コンテストなら上の階だよ」とすれ違いざまに言い出す。
予告で流れた、トランクを開けたらコカインの袋がぎっしり→後ろいる保安官に「どうされました?」と聞かれる、あのサスペンスフルでシリアスな雰囲気はどこに行った !?と思いながら鑑賞していたが、アールの出す雰囲気にどことなく愛着が湧くのも事実だ。

クリントは敢えてヨボヨボの爺さんの演技をし、ヨタヨタした挙動でスクリーンに映る。パーティの場では孫(というかひ孫)くらいの女性とおぼつかない足取りでダンスに興じる。滑稽に見えるのを分かっていてその姿を観客の前に晒す。いったいなぜなんだろうか。

そんなマイペースな様子は、運び屋の仕事の最中もである。アールは道中必ず寄り道をしては買い食いをしたりし、大陸の大横断を楽しむ。付き添いのマフィア(彼らも孫くらいの年齢の人間たちだ)は、任務遂行を優先するためアールに激怒する。

しかし、アールは意に介さない。仕事をする、ひいては人生で生きる上で大切なのは余裕を持つことだと言わんばかりに。

そんな彼の言動に少しずつ触発されていくマフィアや、運び屋と知らずにクリントを好々爺として慕うブラッドリー・クーパー演じる捜査官とのやりとりは、観る者の人生観もいい影響を及ぼすだろう。
仕事にかまけて、家族をないがしろにした人間だからこそ発せられる、後悔の念と人生訓は、ラストのブラッドリー・クーパーのセリフとセットで非常に重みのあるものとなって胸中に響く。

そしてやはりイーストウッド信者としては、もはや「後継者」と言って差し支えないブラッドリーとのやりとりは、単なる芝居のやりとり以上に「託した/託された感」が滲み出ており、話の本筋的には泣くシーンでもないのに目頭が熱くなってしまった

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*1:グラン・トリノ』以降も『人生の特等席』で映画に主演しているのだけど。

*2:この辺りはパンフレットにその記載がある。