海辺にただようエトセトラ

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オッペンハイマー/Oppenheimer(クリストファー・ノーラン監督,2023年)

ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。

第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。

オッペンハイマー役はノーラン作品常連の俳優キリアン・マーフィ。妻キティをエミリー・ブラント原子力委員会議長のルイス・ストロースをロバート・ダウニー・Jr.が演じたほか、マット・デイモンラミ・マレック、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーら豪華キャストが共演。撮影は「インターステラー」以降のノーラン作品を手がけているホイテ・バン・ホイテマ、音楽は「TENET テネット」のルドウィグ・ゴランソン。

第96回アカデミー賞では同年度最多となる13部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞を果たした。(https://eiga.com/movie/99887/より)

9.0/10.0

ノーラン作品への印象

いきなりで恐縮だが、ノーランの作品はあまり好きではない。
良く彼の作品は「緻密な(脚本の)構成が素晴らしい」というような賞賛を声の大きいファンから聞くことがあるが、正直わかりやすく説明できるものを恣意的に難解にしていたり、ミスリードを招くような描写・雑な展開が散見するように感じる。
みんながもろ手を上げて絶賛する『インターステラー』が特に苦手だ。みなさん、冒頭のロケット登場シーンを思い出して欲しい。ロケットの発射システムが会議室の壁一枚隔てた裏にあるんですよ。「コントのセットじゃねーんだから!ロケット発射したらこの会議室吹き飛んじゃうじゃん!」と初見はのけぞってしまった。

そんなあまり良き鑑賞者とは言えない僕はしかし「批判をするにもまず観てから」の精神で本作を鑑賞した。本作はただでさえ扱うテーマも非常にナイーブで、前評判では「広島、長崎の被害を直接描いていない」と言う批判や、「いやいや、これはオッペンハイマーの主観に基づく映画だから描く必要はない」という擁護が出てくるなど、日本でも上映前から色々な意見が取り交わされていた。それならば実際自身の目で確かめたいと言うのが人情だろう。

結論から言うと、原作本ありきのノーラン作品はオリジナル作品よりも断然良いし、なんなら今後はSF路線より人間ドラマの方が向いていると思った。

※以降の文章では映画の構成や展開に触れますが、個人的にはネタバレでないと理解しています。ただ、映画の事前情報を知りたくない方は読むのをお控えください。

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「小道具」に収まらない時間軸シャッフル

まず、本作もこれまでのノーラン作品の例に漏れず、意図的な時間軸のシャッフルがあるが、従来作品よりもうまく機能していると感じた。
主な物語の時間軸は2本で、「1954年:共産党員(=ソ連のスパイ)の疑いをかけられたオッペンハイマー聴聞会」と「1959年:要職就任のためのストローズの公聴会」だ。つまり、本作のメインの時間軸は戦後である。この二つが裁判のように進行し、両者が聞かれた質問に対して回想する形で当時のシーンに移っていく……という構成で、観客は当然ながら「ストローズの公聴会がどう話に関係していくのか」を気にしながら映画を観進めていくことになる。
この構成と最後に至る展開は非常に見事で、物語の推進装置としても「先が気になる」ものになっているし、この構成だからこそ本作の持つテーマが生きてくると感じた。*1

原爆描写で感じたこと

そして最も気になっていたのは、もちろん原爆に関する描写だ。確かに本作には広島・長崎の被害が直接描写されることはない。一方でオッペンハイマーは原爆投下=実験成功を讃えられる場面でその場にいる全員が原爆に焼かれるシーンを幻視する。
笑顔で星条旗を振っていた女性が光に包まれた途端、皮膚が爛れる描写は結構強烈だ。
同時にそのような描写をすることで「目の前の同胞が焼き殺される様は想像できて、遠い島国のアジア人が殺される現実は想像できない」オッペンハイマーが他者理解のスキルが致命的に足りないことを逆説的に描いているように見えた。
作中でも原爆の死者数を明確に言う場面があり、原爆の被害を矮小化させる意図はこの映画にはないと感じる。

しかしそれでも被爆国に生まれた人間としては、例えば広島には、「原爆ドーム」があり「原爆資料館」には目を覆いたくなる資料が展示されていること、被爆した人の深刻な後遺症をこの映画に入れて欲しいと思った。この映画が作られた背景に「原爆の脅威性を伝える」意思があるのなら、なおさらである。*2

また、「日本での被害を描くと、オッペンハイマーの主観で進む映画の構成上矛盾になる」という擁護めいた意見は、明確に誤りであると指摘したい。あるシーンでオッペンハイマー以外の人物が、とある二人のセックスを幻視する強烈なシーンがあるからだ。このシーンが収められている以上、「オッペンハイマーの主観“のみ”で進行する映画」では断じてない。

推薦するのは複雑であるが、観るべき一本

主人公が「実在の原爆開発者」である以上、この映画のクオリティがいくら高くてもやはり複雑な感情を持ちながら見ざるを得ない一本である。
本作ではオッペンハイマーが原爆投下以降苦悩する様子が多分に盛り込まれているが、このリンクのように創作された挿話も多いらしく、実際の彼自身が内心どう思っていたのかは知る由もない。

一方で劇映画としての見応えは充分で、オッペンハイマーの元恋人であるジーンをめぐるとあるシーンの演出の数々は見事だし、矢継ぎ早に出てくる研究者たちの演技のアンサンブルも素晴らしい。*3

冒頭にも書いた通りクリストファー・ノーラン作品はそこまで好きではないのだが、本作は監督のキャリア最高傑作であるし、間違いなく今の映画界を代表する監督であることは認めざるとを得ないと感じた。

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*1:正直『ダンケルク』とかは、「観客を騙すための装置」であることが先行していて、小手先に感じてしまったが、本作はテクニックとテーマが合致していると思う。

*2:加えて、いまだにアメリカもイギリスも核弾頭を保有している現実にも触れるべきではないだろうか。

*3:細かい説明がなくても、それぞれの人物の原爆との心理的な距離感が見て取れる脚本には舌を巻く。