海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

グリーンブック/Green Book

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人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ジャズピアニストとイタリア系白人運転手の2人が旅を続けるなかで友情を深めていく姿を、実話をもとに描き、第91回アカデミー作品賞を受賞したドラマ。1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒として働くトニー・リップは、粗野で無教養だが口が達者で、何かと周囲から頼りにされていた。クラブが改装のため閉鎖になり、しばらくの間、無職になってしまったトニーは、南部でコンサートツアーを計画する黒人ジャズピアニストのドクター・シャーリーに運転手として雇われる。黒人差別が色濃い南部へ、あえてツアーにでかけようとするドクター・シャーリーと、黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに、その旅に同行することになったトニー。出自も性格も全く異なる2人は、当初は衝突を繰り返すものの、次第に友情を築いていく。トニー役に「イースタン・プロミス」のビゴ・モーテンセン、ドクター・シャーリー役に「ムーンライト」のマハーシャラ・アリ。トニー・リップ(本名トニー・バレロンガ)の実の息子であるニック・バレロンガが製作・脚本を手がけ、父とドクター・シャーリーの友情の物語を映画化した。監督は、「メリーに首ったけ」などコメディ映画を得意としてきたファレリー兄弟の兄ピーター・ファレリー。アカデミー賞では全5部門でノミネートされ、作品賞のほか脚本賞助演男優賞を受賞した。(https://eiga.com/movie/89815/より)

9.0/10.0

昨今は作品に対するネットでの様々な評判が飛び交い、良くも悪くも影響されがちになるが、本作はアカデミー作品賞を受賞したこともあり、結構な槍玉に上がっていたように感じる。

「白人を救世主化した、白人目線の映画」
「遺族から事実と違うという抗議がきている」

そういった風評に流され、さもしたり顔で上記のような言葉を引いて本作を貶めている人をタイムライン上でいくつか見かけた。おおかた、ここあたりの記事から影響を受けたのだろう。
個人的には、その言葉が本人そのものから出た言葉のようには思えなかった。前評判による色眼鏡で観てしまえば、確かに本作は「白人目線の、白人が救世主になる映画」かもしれない。

しかしそんな言葉で終わらせてしまうほど、この二人の関係性は安っぽいものだっただろうか?

ビゴ・モーテンセン演じる「トニー」は、イタリア系で名字を「バロロンガ」という。発音が難しいため、ツアーで回る各地で名前を呼び間違えられるギャグが挟まれるが、イタリアにルーツを持つ本人としては苦々しい思いだったろう。劇中、ドクターからの「呼びづらいから短縮したい」という申し出をトニーは断っている。彼にも黒人のようにルーツとする土地へのプライドがあり、それを蔑ろにされることに怒っているのだ。

ドクターと違い教養も持ち合わせていない。遠方に暮らす妻子へ送る手紙の文章はとんでもなく稚拙だ。見かねたドクターが文面を考案することで妻は感動するが、普通に考えれば自分の学のなさを目の当たりにし、惨めな気持ちにもなるだろう。

そして何よりも象徴的なのがフライドチキンを食べるシーンだ。
フライドチキンは、

  • 当時奴隷だった黒人が体力をつけるための食べ物
  • ナイフやフォークを使って食べれない低俗な食べ物→奴隷階級である黒人が食べるべきもの

とされているが、劇中では白人のトニーの大好物で、黒人のドクターは食べたことすらない
実はその「ねじれ」がこの映画のキモなのではないかと思う。

コメディ畑で手腕を振るった監督の感覚で紡がれたこの物語は、『最高の人生の見つけ方』『最強のふたり』といった異文化ギャップコメディのような側面が強い。
そこにあるのは「ステレオタイプの救済」ではなく、「個人が互いのねじれを認めつつ、リスペクトを交わす重要性」のような気がしてならない。

黒人差別をテーマに白人監督が映画を撮ることの難しさ(あるいは最適解)は、当事者でない僕は完全に理解することは難しいだろう。だからこそ、この映画の問題点を当事者が指摘するのなら、受け入れたいと思う。

ただ、ネットでの評判そのままに表層的な感想を書く輩に対しては、「せめて自分の言葉で語れば?」と思う。
それが作品を観た人間の最低限の礼儀ではないだろうか。