海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

行き止まりの世界に生まれて/Minding the Gap(ビン・リュー監督,2018年)

f:id:sunnybeach-boi-3210:20200921174202j:plain

閉塞感に満ちた小さな町で必死にもがく若者3人の12年間を描き、第91回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた作品。かつて栄えていた産業が衰退し、アメリカの繁栄から取り残された「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」に位置するイリノイ州ロックフォード。キアー、ザック、ビンの3人は、それぞれ貧しく暴力的な家庭から逃れるようにスケートボードに熱中していく。スケート仲間は彼らにとって唯一の居場所であり、もうひとつの家族だった。そんな彼らも成長するにつれ様々な現実に直面し、少しずつ道を違えていく。低賃金の仕事を始めたキアー、父親になったザック、そして映画監督になったビン。幼い頃からスケートビデオを撮りためてきたビンのカメラは、明るく見える3人の悲惨な過去や葛藤、思わぬ一面を浮かび上がらせていく。そんな彼らの姿を通して、親子、男女、貧困、人種といった様々な分断を見つめ、アメリカの知られざる現実を映し出す。(https://eiga.com/movie/92439/より)

9.7/10.0

奇しくも『mid90s』と同時期に公開された、“現代の”スケボードキュメンタリー。『mid90s』で感じた疑問への答えをもらったような内容でもあり、かなり感動した。

冒頭で主人公の一人が言う。

「男らしくあれ」とか、そういう社会のお仕着せから逃れるために、俺たちはスケボーをやるのさ

まさしく『mid90s』の少年たちの感覚をアップデートしたかのようなセリフ。この一言だけで、今作が傑作になることを確信した

本作を手がけるのは、主人公たちと幼なじみで自身もスケーターであるアジア系の青年ビン・リュウ。仲間内のスケボービデオも手がけたであろう彼は、とにかく「現実の鬱陶しさ」から解き放たれたスケーターたちの生き生きした姿を鮮明に映し出す。
我が物顔で道路をスケボーで駆け抜ける若者のショットは『mid90s』にもあったが、車がほとんど通らないロックフォードの街は暗に「貧困」や「衰退」も表しており、非常に示唆的なショットとなっている

主人公となる3人のスケーターの、民族的なルーツが異なるのも今の社会を端的に表しているように感じる。
白人のザックにアフロ系のキアー、そしてアジア系のビン……決して裕福とは言えない家庭で育った彼らには、スケボー以外にも共通点がある。それが「家庭内暴力」だ。

幼い頃、内縁の夫に母の目の届かないところで殴られ続けたビンは、自身の体験を重ねながらキアーとザックのDVにも目(カメラ)を向けていく。
キアーは、父親からの耐えきれない暴力に嘆きながらも、父親を早くに亡くしてしまう。怒りのやり場もない一方で、肉親を亡くした辛さにも引き裂かれそうになっている。「好き」「嫌い」で割り切れない家族という厄介さ(や、「唯一無二さ」)は、非常に共感できる

対するザックは、息子を授かり地元の彼女と家族になるが、彼女と日々喧嘩が耐えず、彼女は息子を連れて別居してしまう。
別居した彼女にビンがカメラを向けると、「ザックには言わないで」と前置きしつつ、ザックから暴力を受けていることを語る。

暴力が問答無用でいけないことはさておき、もう「少年」でなくなったザックの悲しみをカメラは捉える
彼は子供ができ、家族ができた。スケボーだけに熱中していられる年ではなくなった。
家事や育児は彼女と平等に割り振っているはずだが、なぜか自分の方が割りを食っているように感じてしまう。その不満が家族内の不和を加速させていく。
そんな日々の憂鬱から逃れるように酒に溺れていく彼の姿には、図らずとも共感させられてしまう。*1

DV被害者であるビンがカメラを向けるザックは、DV加害者であり、同時に彼の親友でもある。ラストにザックが自分の行いを振り返るインタビューが展開されるが、この社会に漂う閉塞感にもがいている姿は、切実で胸に刺さる。

*1:僕は下戸だけど。