はじめに
タイトルのまんまなのですが、大人気コミック『ONE PIECE』の主人公、ルフィはどんな状況でも敵の命を奪いません。
しかしそれはあくまで設定上の話であって、実際のルフィの技を見てみると、明らかに喰らえば死に至りそうな技が多くあり、それは(強い書き方をすれば)「暴力描写の矛盾」に感じます。
本記事に特にオチはありませんが、ONE PIECEを読んだ当時感じた疑問を、他のコミックの設定を引き合いにしつつ書いていきたいと思います。*1
あと、タイトルの通り僕自身はONE PIECEから離脱した身なので、今も読まれている方から、既出の部分についてはご指摘をいただけるととても助かります。(「この部分についてはすでに●巻で明かされていますよ」など)
それでは字だらけの退屈な記事になりますが、お付き合いいただける方はどうぞ。
- はじめに
- 僕とONE PIECE
- 「不殺」に対する作者の言及
- 主人公の倫理観〜HUNTER×HUNTERのゴン
- 主人公の倫理観〜TRIGUN(MAXIMUM)のヴァッシュ
- 作中で「暴力」を扱う責任
- ONE PIECE読者の方に質問
僕とONE PIECE
まず僕とONE PIECEとの付き合いについて説明します。
小学生の頃にアニメから入り、コミックにどハマりし、以来単行本をリアルタイムで大学生まで読み続けていました。
つまり僕の思春期はONE PIECEとともにあった、と言ってもいいくらい好きでした。*2
しかし「空島編」で物語が妙に退屈に感じてしまい、それ以降は惰性で読みつつ、「メリー号が修理不可能」的な展開以降は追うのを辞めました。
※……ちなみに、今この文章を書きながらONE PIECEの公式サイトで話の流れを追っていたら、フォクシー海賊団編というストーリーはコミックを買っていたはずなのに、記憶に全くありません。
「不殺」に対する作者の言及
それくらいいい加減な記憶しか「ONE PIECE全体」には持っていないのですが、冒頭で書いた「不殺」については妙に記憶に残っています。
確か作者が読者の質問に答えるコーナーで「ルフィは『敵の信念を折れれば勝利』と考えているから、命を奪わない(奪う必要がない)」という類の回答をしていました。
この回答には納得も理解もしたし、何なら「ルフィってカッコいいな」と思っていたのですが、その割には作中で「暴力の定義」が曖昧というか、「矛盾」していないか? という疑問が読み進めると生まれ、今も胸に残っています。
作中において「死なない暴力」と「死に至る暴力」の定義がわからない
まず、ONE PIECEの世界には死につながる暴力で溢れています。
例えば第1話でシャンクスの一味があっさり山賊を殺すシーン。陽気に酒屋で騒いでいた海賊が、「シャンクスを脅した山賊」の頭を銃でブチ抜くシーンはかなりショッキングで、作中世界の残酷さを的確に表した描写だと今も思っています。
対して、ルフィの戦闘に目を向けると、彼の出す大技は人を死に至らせそうなものがかなりあるのに、「人は死んでいない」ようです。
例えば初期だとドン・クリークを倒す時にキメた「ゴムゴムの大槌」。これはバギー編での「ゴムゴムの槌」をより過激にした技で、ドン・クリークは強烈な遠心力とともに持ち上げられ、船に頭を叩きつけられます。
いくらドン・クリークが強いキャラとは言え、銃弾を頭に喰らえば即死する世界なら、この技も当然死に至るんじゃないか、と思います。
個人的な見解なのですが、作中内での「死ぬ/死なない暴力」の定義があやふやでスッキリしないんです。*3
主人公の倫理観〜HUNTER×HUNTERのゴン
そこで思った疑問は、果たしてルフィの「不殺」は
- 自分で「絶対に相手を殺さない」と誓っているもの
- 「相手の信念を折ること」に重きは置いているが、不可抗力で殺してもいいと思っている
のどちらなんだろう? ということです。*4
例えば同じ時期にスタートしたジャンプの看板コミック『HUNTER×HUNTER』の主人公、ゴンは「善悪の基準の曖昧さ(フラットさ)」がたびたび作中で指摘されます。
仲間の命は自分を犠牲にしても守る反面、敵についてはあっさり殺す。
そうかと思えば、とある賞金首かつ殺人鬼との戦いでは「自分が修行として戦い、スキルを上げてもらえたから」という理由で見逃したりします。
それらの行動は「命の大切さ」という観点からは矛盾しているようにも思えますが、先述した「善悪が曖昧な人物」であるからこそ生じる矛盾。だから彼の暴力や価値観には読者である僕は納得感があるんです。
対してルフィはあまり心理描写もされなく、「不殺」についての信念も語られず、しかし暴力自体は非常に派手。このことが非常にスッキリしないんです。
主人公の倫理観〜TRIGUN(MAXIMUM)のヴァッシュ
また、本人自ら「不殺」を信念に活躍するのが、『TRIGUN(MAXIMUM)』の主人公、ヴァッシュ・ザ・スタンピードです。
ガンマンである彼は出生に大きな秘密があり、そこに「不殺」の理由があります。(大きなネタバレになるのでその点は言及はしませんが)
しかし仲間からは「ガンマンなのに敵を殺さないのは矛盾している」と指摘され、強大な敵からは「俺を殺さない限り前には進めないぞ」と言われ続け、苦悩しながらも「それでも殺さない」選択肢を模索しながら戦っていきます。
彼の扱う武器=「銃」が「暴力」「死の象徴」であるにも関わらず「殺さないための力」として扱う彼の姿勢はとても一貫していて、非常に納得感があります。
作中で「暴力」を扱う責任
それらと比較すると*5、ONE PIECEは作中で暴力を扱っているのに、主人公の暴力は(死にそうなものも)死に直結しないし、それについての説明もない。
世界一発行されている(=実質、世界一売れている)コミックであれば、当然ながら子供たちも多く読んでいるはず。そうであるならばなおさら「暴力の先には死があること」「それは主人公の振るうものでも例外ではない」ことを描いてほしいなと感じています。
よくONE PIECEの優れた点として「現実社会の世相を反映させている」ことが挙げられています*6。
そういった目配せ以上に、物語のベースである「暴力」について説明がないと、作品で描いているものが欺瞞*7に感じてしまいます。
ONE PIECE読者の方に質問
ということでONE PIECE読者の方に質問です。
Q.ルフィは自分の暴力をどう捉えているのでしょうか?
- 「絶対に相手を殺さない」ものとして扱っている
- 「相手の信念を折ること」を最優先としているが、不可抗力で殺してもいいと思っている
- 話が進んでいくにつれて、その辺りにこだわりは持っていない(あるいは明確に捨てた)
ここら辺を作中でどう描いているのか、あるいは読者としてどう捉えてらっしゃるのか、教えてくださるとありがたいです。
まぁそもそも「お前が読めや」って話ですが、歳のせいや他にやることもあって体力が続かず……。親切なONE PIECE読者の方に是非ともご教授いただきけますと幸いです。
もちろん意見を頂戴しつつ、必ず未来にONE PIECEに再挑戦したいなと思っています。