執筆5年。人間の根源を問う傑作大長編小説。
『告白』『宿屋めぐり』に続く、町田康の新たな代表作、ここに誕生!ホサナ。私たちを救ってください。
愛犬家の集うバーベキューパーティーが、全ての始まりだった。
私と私の犬は、いつしか不条理な世界に巻き込まれていく…。栄光と救済。呪詛と祈り。私ともうひとりの私。
迷える民にもたらされた、現代の超約聖書ともいえる大長編小説!
8.5/10.0
町田康を熱心に読んでいるわけではないが、相変わらずとぼけたギャグを交えながらも、人間の抗い難い“業”をシニカルに描いた、彼らしい作品に感じた。
特に、人間社会を「バーベキュー」と「愛犬家」をモチーフに紡いでいく手腕には唸らされる。*1
未読の方には上記はなんのこっちゃな文章だろうが、端的に表してしまえば本当にその通りなのだ。
親の遺産で働くことなく暮らしている主人公の50代男性は、社交と言うものが一切ない。
親しい友人もいないため、彼はバーベキューを行ったことがない。ところが知り合った愛犬家に誘われたバーベキューで(ある種の)宗教的体験に巻き込まれ、「日本くるぶし」という超常的な存在から「正しいバーベキューを行え」という神託(?)がくだる。
以降「正しいバーベキュー」を模索しながらも日々のトラブルに見舞われる主人公の不条理・悲哀を、およそ700ページにわたって読者は共に味わっていくこととなる。
確かに我々が「バーベキュー」を(やや大袈裟に)人間社会に置き換えると、そこはコミュニケーションの場となりうる。
招待される場合はちょっとした手料理を作っていくべきだろうか、あるいは気の利いた調理器具やお酒を持参すべきだろうか、当日はあまり交流のない人間にも絡んでいくべきか……。意識せずとも「正しいあり方」のようなものを探ってしまうのが、バーベキューであるだろう。
これは「愛犬家」にも言える。僕も犬を飼っているのだが、犬のオーナーそれぞれで「正しさ」は異なってくる。その点は本書の序盤にも、ファニーかつ克明に描かれていて、その的確さに笑えてしまう。
そしてそうした「正しさ」はある種の共通認識のもとで生まれるものであるが、事情や背景が異なる人間からすると、その「正しさ」は単なる「暴力」にもなりうる。
小説内でも主人公は「愛犬家」で「ちょっとした資産家」ということで、登場人物から無理筋な屁理屈で多額の寄付を迫られる場面がある。
はたから見れば全くロジックが成立していない状況なのだが、当事者からすると正論だから譲る気は一切ない。
こうした理不尽な光景は、一見非現実的でありえないのだが、実は頻繁に目にする機会があるのではないだろうか。いわゆるSNSの「クソリプ」などもそれにあたるだろう。
「正しさ」で何かに対抗すると、何かを傷つける可能性がある。昨日Netflixのリアリティショーの出演者が、ネットでの誹謗中傷が一因で命を絶ってしまう悲痛な事件が起きてしまった。
「リアリティ」ショーは、あくまで「リアル」ではない。そこに「リアル(=実社会)」での「正しさの、暴走」を持ち込んだ無数の人間の誹謗中傷が、彼女の心を蝕んだことは想像に難くない。
3年前の積読を読み終えた矢先にこの事件が起きてしまい、思わぬところで繋がりつつも心を痛めた。
ご冥福をお祈りいたします。