海辺にただようエトセトラ

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ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー(2022年・ライアン・クーグラー監督)

マーベル・シネマティック・ユニバースの一作として世界的大ヒットを記録し、コミックヒーロー映画として史上初めてアカデミー作品賞を含む7部門にノミネート、3部門で受賞を果たした「ブラックパンサー」の続編。主人公ティ・チャラ/ブラックパンサーを演じたチャドウィック・ボーズマンが2020年8月に死去したが、代役を立てずに続編を製作した。

国王ティ・チャラを失い、悲しみに包まれるワカンダ。先代の王ティ・チャカの妻であり、ティ・チャラの母でもあるラモンダが玉座に座り、悲しみを乗り越えて新たな一歩を踏み出そうとしていた。そんな大きな岐路に立たされたワカンダに、新たな脅威が迫っていた。

監督・脚本は前作から引き続きライアン・クーグラーが担当。ティ・チャラの妹シュリ役のレティーシャ・ライト、母ラモンダを演じるアンジェラ・バセットをはじめ、ルピタ・ニョンゴマーティン・フリーマン、ダイナイ・グリラ、ウィンストン・デューク、フローレンス・カスンバらが前作キャストが再登場。新たに「フォーエバー・パージ」などで知られるテノッチ・ウエルタが参加した。(https://eiga.com/movie/95008/より)

8.5/10.0

本作はMCUの中でも人気シリーズである『ブラックパンサー』シリーズの2作目であるが、前作の主人公であるティ・チャラ役の俳優=チャドウィック・ボーズマンの早すぎる死去により、おそらくシリーズとしての展開は大きく変更なされたのだろう。
特に監督のライアン・クーグラーは、チャドウィックとはプライベートでも良き友人関係にあったため喪失感は非常に大きく、一時は監督業からの引退も考えていたらしい。

そんな中でも、目の前の「悲劇」を受け入れ、現実を作品にオーバーラップさせ、映画として作り上げた製作陣には大きな敬意を評したい。
MCUを追い続けたファンにとっては、冒頭のティ・チャラの葬儀だけでも感涙もの。ワカンダの民が葬列で皆自由に踊り、王の偉大さを称える様子を観て、思わず僕も涙してしまった。
そして残されたキャラクターたちの決意や行動には、観る者を奮えたたせる力があった。

一方一つの映画作品として観た時に、なかなか難しい部分があったことも事実だ。以降は個人的に少し疑問に感じた部分について挙げていきたいと思う。
もちろん、MCU作品はシリーズを通して非常素晴らしい作品が多いので、一般的な映画に比べると厳しい目になっているかもしれないが、ご容赦いただきたい。

【以降、ネタバレを含む文章になります】

長すぎる尺

まず、本作の上映時間は2時間40分となる。これは超大作『エンドゲーム』に次ぐ、MCU史上2番目に長い尺となる。
本作に盛り込むべき要素が多いことは重々承知の上だが、それにしても間延びしている感が否めない。序盤は戦闘に大きな見せ場もなく、「戦うための理由づくり」を2時間かけて行なっている印象を受けた。

そもそもワカンダは「他国からの侵略・資源略奪を避ける」ためにあえて途上国に偽装していたような国なので、基本的には争いを好まない(仕掛けない)国家である。
そのため、彼らが戦う理由に説得性を持たせる必要はあるのだが、それらがあまりドラマとして見応えのあるものに感じなかった。

画づくりの劣化(?)

マーベルスタジオが、VFXをはじめとする外注会社にスケジュールなどで無理を強いてきたことが近年明るみになってきているが、そうした体制を改善した結果か不明だが、フェーズ4以降は画づくりが劣化したように感じる。*1
VFXの粗さを誤魔化すためなのかわからないが、本作は終始画面が暗い。

今回の敵となるタロカンは水中都市で暮らしているのだが、彼らの世界も基本的にどんより薄暗く、「ヴィブラニウムの恩恵による高度に発展した都市」という印象を持ちづらい。*2

タロカンの水中都市のシーンのみならず、夜に闘うシーンなども画面で何が起こっているかわかりづらく、アクションの爽快感がないように感じた。

ラストシーンの、他シリーズとの重複や疑問

「物語上必然的な流れだから仕方ない」と言われてばそれまでなのだが、最後のシュリの判断が今年上映の『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』と全く同じなのにも疑問が残る。

最愛の叔母の仇であるグリーン・ゴブリンを前に、「不殺」の信念を貫き通したピーター・パーカーの姿勢には涙したが、全く同じ展開を持ち込まれてしまうと既視感が強く冷めてしまう(しかも、ネイモアへの勝利もまぐれ感があり、爽快感に欠ける)。

今の時代に「(アクション)ヒーロー」を描くのなら、「暴力の帰結」についても当然描くべきかと思うが、このままだと今後のヒーロー映画のオチは「たとえ大切な人を殺められても、悪人を最後は赦す」的なものが蔓延してしまうのではないだろうか。

あと物語の最後にティチャラ王とナキアの息子にシュリが初めて会うのだけど、息子の存在を知らされてなかったのも疑問だ。

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以上、細々と引っかかる点を書き出してしまったが、得点としては高いスコアにしたように、上記以外の部分では非常に満足した作品であるし、MCUファンであれば必見の作品であると思う。

一方で本作はアカデミー作品賞にノミネートされるくらいの傑作の続編でもある。
種々の事情で「そうせざるを得なかった背景」は察せられるものの、作品として観た場合にスルーできない部分が多かったので書かせてもらった。

 

……しかし、最大の不満は↓の予告の曲が劇中では流れなかったことかも。
ボブ・マーリーからのケンドリック・ラマーの繋ぎが極上すぎたので、劇場の音響でこれを聴きたかった…この予告を劇場で観れたのは最高だった。

www.youtube.com

*1:もちろん、不当な労働の要求には反対であるし、俳優の高額すぎるギャラよりも制作陣にそうした費用が回されるべきだと思っている。

*2:タロカンは肌の色が水色の民族なのだが、どうしても「アバター」がよぎってしまうのもよろしくない。おそらく「アバターの方が高クオリティなのでは」など、要らぬ考えが出てきてしまった。