海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

精神0

f:id:sunnybeach-boi-3210:20200629170637j:plain

ドキュメンタリー監督の想田和弘が「こころの病」とともに生きる人々を捉えた「精神」の主人公の1人である精神科医山本昌知に再びカメラを向け、第70回ベルリン国際映画祭フォーラム部門でエキュメニカル審査員賞を受賞したドキュメンタリー。様々な生きにくさを抱える人々が孤独を感じることなく地域で暮らす方法を長年にわたって模索し続けてきた山本医師が、82歳にして突然、引退することに。これまで彼を慕ってきた患者たちは、戸惑いを隠しきれない。一方、引退した山本を待っていたのは、妻・芳子さんと2人の新しい生活だった。精神医療に捧げた人生のその後を、深い慈しみと尊敬の念をもって描き出す。ナレーションやBGMを用いない、想田監督独自のドキュメンタリー手法でつくられた「観察映画」の第9弾。(https://eiga.com/movie/92554/より)

9.8/10.0

想田和弘監督の手掛ける「観察映画」は、受け手の「観察」によって完成する作品なので、おそらく受け取った人の分だけ様々な解釈が生まれる。*1ドキュメンタリー映画ならつきもののBGMやナレーション、補足的なテロップを用いない分「あたかもそこにいる感覚」で不可逆に流れゆく映像を体感することで、観客側は何かを生活に持ち帰る。

そういう意味では僕がこれから書く感想は僕個人の想像も含まれた「一つの観察結果」なので、厳密にはネタバレではないのだが、映画の展開には触れる。観察映画は、なるべく前情報なく臨んだほうが頭をフル回転させて楽しめることだけは書いておく。
そしてこれから本作を観ようか迷っている方には、間違いなく今年有数の映画作品であることを伝えておきたい。それだけ知って劇場に足を運んでくれればいいと思う。なので、以降の文はある意味蛇足である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前作にあたる『精神』は、かれこれ10年以上前に撮られた作品で(僕はDVDで鑑賞)、山本医師の「神の手」のような手腕が発揮され、社会に溶け込めず息苦しさを持つ患者の方の悲喜こもごもが赤裸々に写されていた。

対して本作では82歳となった山本医師が引退を決意し、その決断に途方に暮れる患者の方たちが描かれる。

「後任の先生の診断が不安だ」
「私だけでも診察を受けてくださらないか」
「引退されても電話をかけていいですか」

 など、訪れるすべての患者が山本医師を崇拝しているように感じる。

「病気でなく人を看る」が信条の山本医師はそんな患者の方を優しく親身に諭し、時には身銭を切って患者の生活を手助けする。
そんな序盤を観て、「引退後も患者との交流を忘れない、ワーカホリックかつ慈愛に満ちた医師の花道が描かれるのかな」などと推測を立てていると、映画は変容していく。

山本医師が診療所で勤務を始めるとある日、妻である芳子さんは男性に伴われて別の道を歩くシーンが挟まれるのだ。
診療所のブロック塀が二人をちょうど隔ててしまうこのシーンはポスターのビジュアルにも採用されているが、なぜだかとても不穏な気持ちにさせる。
映画を観終わった今だからこそわかるが、患者からの絶大な信頼や慎ましくも華々しい引退講演は本作のイントロに過ぎず、本質は別のところにあるのだ。

映画内では明言されていない*2が、芳子さんはおそらく認知症を患っている。カメラが医師の自宅を写すと、人を招いているとは言い難い散らかり気味のリビングが目に飛び込む。
山本医師が率先して撮影者である想田監督をもてなすのだが、「お茶にしよう!」といって貰い物らしい煎餅を菓子盆に並べるのだが、なんと注いだ飲み物はアクエリアス。完全に未知な食い合わせにこちらは仰天してしまうが、芳子さんの方は気に留めるそぶりもない。*3

この段階でようやくこの家の事情を僕は察したのだが、前作『精神』で快活に話をしていた芳子さんとは完全に別人となってしまったことに胸を痛ませながらも映画は進んでいく。

クライマックスといえるのが、芳子さんと20年(?)以上のも付き合いのある友人の家に夫婦で遊びに行くシーンだろう。
心優しい親友といって差し支えない女性が、山本医師の現役中に陰で支えていた芳子さんの苦労を失礼のない範囲で、なるべく目の前の山本医師を責めないように語る。
患者を自宅に泊めることでの給仕を一手に引き受けていたこと、姑の圧力に苦心していたこと、歌舞伎もお茶もたしなんで海老蔵のファンであったお茶目な一面……もしかすると半世紀以上連れ添っている山本医師も知らない芳子さんの一面が、怒涛の勢いで語られる。

そこで思い返されるのが、自宅に飾られたきれいな字で飾られた芳子さんの俳句だ。
聡明で快活だった芳子さんは、「敏腕精神科医の妻」以外に望んでいたキャリアがあったのではないか……そう考えると胸が締め付けられる。

しかし、そういった上記の苦労話を言い訳せず静かに聞き入れる山本医師の答えはすでに決まっていることが、ラストのお墓参りのシーンで分かる。なだらかな坂道すら下るのを恐れてしまう芳子さんの、手を握って彼女の歩調に合わせて歩くのだ。

詳細な箇所は覚えていないが、前作『精神』のシーンであろう、台所で家事をしながら快活にしゃべる芳子さんが出てくる。まるでもう「戻れない過去」であることを示唆するようにそのシーンはモノクロで、当然ながら悲しい気持ちにさせられる。*4

だが、夫妻が固く握った手を延々と写す最後のカットは、二人にとって明るい未来が待っているのではないだろうか。同世代の祖父母を亡くしてしまった僕は、そう願わずにはいられない。

 映画の悲しい部分ばかりに触れてしまったが、生身の人間だからこそ出てしまう「面白さ」も、従来の観察映画同様に内包されている。
「観察映画」という手法で作られる映画の、ある種到達点とも言える大傑作だ。映画館の営業が再開されつつある今、ぜひとも劇場で観て欲しい一本。

*1:もちろん、創作物すべてがそうであるのだけれど、「特に、観察映画は」という意味で書いた。

*2:か、僕が「観察」し損ねたか

*3:ちなみに想田監督はあくまで「観察者」のポジションなので、突っ込みや手助けといった介入を禁じている。

*4:近年の想田監督の映画は実にモノクロが効果的に使われている。