海辺にただようエトセトラ

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TAR(トッド・フィールド監督,2022年)

イン・ザ・ベッドルーム」「リトル・チルドレン」のトッド・フィールド監督が16年ぶりに手がけた長編作品で、ケイト・ブランシェットを主演に、天才的な才能を持った女性指揮者の苦悩を描いたドラマ。

ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラー交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。

アビエイター」「ブルージャスミン」でアカデミー賞を2度受賞しているケイト・ブランシェットが主人公リディア・ターを熱演。2022年・第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、ブランシェットが「アイム・ノット・ゼア」に続き自身2度目のポルピ杯(最優秀女優賞)を受賞。また、第80回ゴールデングローブ賞でも主演女優賞(ドラマ部門)を受賞し、ブランシェットにとってはゴールデングローブ賞通算4度目の受賞となった第95回アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演女優ほか計6部門でノミネート。(https://eiga.com/movie/97612/より)

9.6/10.0

はじめは全体像がボケているのだが、時間が経つごとに徐々にピントが合わさっていき、「作品の世界がどのようなものか」が分かっていく映画が好きだ(集中力もを要するので、眠くならない)。
本作も序盤は「一体これは何なんだろう?」というセリフ、シーンがパズルのように合わさっていく過程が非常に楽しめる一本で、158分という長い上映時間も全く退屈しなかった。

映画の冒頭ではターが大きなホールで、大勢の観衆を前に対談を行っている。
ここでターは「時間」について少し観念的な持論を展開している。一方、客席では1人の女性が司会者が読み上げるターのプロフィールを一字一句暗唱している様子が映される。対談を終えたターは出待ちしていたファンらしき女性に話かけられ、上機嫌に対応する。

初見ではこれらのシーンに具体的な繋がりを見出せず戸惑うが、映画を観進めていくとこのシーンにこの映画の全てが詰まっていると言っても過言ではないのだから驚きだ。

ターはオーケストラ指揮という、おそらく世界でも最も雄大かつ、上質な時間を過ごしている。そのため、細かい雑務などにかまけている暇などなく、これらは全てアシスタント任せなのだ(だから、客席で暗唱している女性=アシスタントは、ターのプロフィールも全て知っているのだろう)。
ファンらしき女性とのやりとりでは、彼女が同性愛者であることも示唆している。

これらの何気ない一つ一つの要素が彼女のキャリアを破滅に導いていってしまっていくのだから恐ろしい。

兎にも角にも、ケイト・ブランシェットの演技が作品の全てと言っても過言ではないほどに素晴らしい。
序盤は誰もを魅了する圧倒的なカリスマ性を持つ音楽家として描かれているのだが、挟まれる細々したシーンが観る者に違和感を生み出す。「なぜ、ラジオのニュース音声を復唱して“発音の練習”をするのか?」「なぜ元アシスタントへの態度が非常に冷淡なのか?」など、様々な事象に疑問符がついては、ラストになると鮮やかに解き明かされる作劇は見事である。

全体的には非常に満足できる作品ではあるのだが、少し気になる点もあるので以下記載(少しネタバレも含まれるので、気になる方はスルーしてください)。

「女性初の首席指揮者」に上り詰めたターは、おそらく非常に卓越した政治力や調整力の持ち主だったはず。それなのにこの映画では後半は極めて段取りが悪くそのせいもあって多くのものを失ってしまう。現実にターのような人がいれば、もう少し狡猾に立ち回って少しのダメージで済んでいたのではないかなと鑑賞中に思った*1

もう一点、本作は最後の舞台はフィリピンになるのだが、「マッサージ店」の取り上げ方が非常に不快だった。
途上国でのこうしたビジネスは、そもそも白人社会を中心とした先進国が生み出しているものだと思うし、それをさも「東南アジアは人権意識が乏しい国」というように白人男性の監督が手がける映画で取り扱うのは、この問題への自覚の乏しさを自ら露呈しているようなものだと感じた。

上記2点以外は引っかかるものの、全体を通して長尺を感じさせない構成、観る者が集中力マックスで鑑賞できる作劇、ケイト・ブランシェットの演技の凄さなど総合的に考えると、今年ベスト候補に入る傑作だと思う。

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*1:それも現パートナーから寝物語的に聞いたオーケストラの政治事情のおかげであり、アシスタントが相当に優秀だったとも言えるが