海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

心と体と/Testrol es lelekrol

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長編デビュー作「私の20世紀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(最優秀新人監督賞)を受賞したハンガリーの鬼才イルディコー・エニェディが18年ぶりに長編映画のメガホンをとり、「鹿の夢」によって結びつけられた孤独な男女の恋を描いたラブストーリー。ブダペスト郊外の食肉処理場で代理職員として働く若い女性マーリアは、コミュニケーションが苦手で職場になじめずにいた。片手が不自由な上司の中年男性エンドレはマーリアのことを何かと気にかけていたが、うまく噛み合わない。そんな不器用な2人が、偶然にも同じ夢を見たことから急接近していく。2017年・第67回ベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞をはじめ4部門に輝いた。(http://eiga.com/movie/88386/より)

 9.3/10.0

個人によって程度の違いこそあれど「人との対話の難しさ」を感じることは、誰にでも共通してあるのではないだろうか。
事前に考えている「こう話そう」「こう伝えよう」から、会話をすればするほど離れていってしまうようなもどかしさ。「あの人とこうやって話すことができたら」と思いいざ対話に臨んでも、現実は上手くいかない。

「こうであれば良いのに」と考える……というか、妄想することは「夢を見る感覚」に近い。
歳をどれだけ重ねても、「イメージの中でならもっと上手く話せる」と考えてしまう。素直に、互いを尊重し、もっと想いをストレートに表現するのに、と。

ハンガリーという、失礼ながら場所も不明確な国から届いた本作は、日本人とは縁遠いように思っていたが、思った以上に根底の部分で「繋がっている」と感じられる一本だった。

ふと、気になった人がいる。話しかけ方は分からない。何か共通項でもあれば……。
その共通項が「2人だけにしかないもの」だとしたら、なんて素敵なことなのだろうか。
現実世界ではなかなか実現し得ないファンタジーも、映画の中でなら、夢を見ることができる。

どこまでも潔癖で、融通の利かない、生真面目な主人公のマーリアに共感できるかで本作の印象は大きく変わると思う。その性質を「気難しい」と感じ苦手意識を抱く人がいるかもしれないが、裏を返せば非常に誠実な人間であるわけだ。
印象的なのが彼女の目だ。幾度となく、本心の読み取りづらいフラットな目線で他者を見つめる瞳は、同時並行で進む雌の鹿の目と瓜二つで、澄んでいる。

作中ではこの鹿のシーン(本記事で上げている画像)は、2人が見る「夢」であるとされている。*1
鹿の2人(2頭)は、言葉こそ交わさないものの互いを愛おしく思い、支え合っている様子が分かる。素直に、心を開いている。人間の2人も互いの共通項が「夢」であることを知り、徐々にわかり合おうとする。

現実世界にはありえないことかもしれないが、この課程はとても丁寧に、美しく描かれる。
おそらくこの映画が気に入った人たちは、主人公の2人をそっと優しく見守っていたのだろう。自分が「他者への優しい眼差し」を持てること、そのことに気づけただけでも、救いになる。

www.youtube.com

*1:パンフレットの監督のインタビューを見ると、「鹿側」のシーンはあくまで別の現実世界であって夢ではないとのこと。鹿たちにとっては、人間側の世界が夢なのかもしれない。