「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督が、人の死を予告するというアイルランドの精霊・バンシーをモチーフに描いた人間ドラマ。
1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島。住民全員が顔見知りのこの島で暮らすパードリックは、長年の友人コルムから絶縁を言い渡されてしまう。理由もわからないまま、妹や風変わりな隣人の力を借りて事態を解決しようとするが、コルムは頑なに彼を拒絶。ついには、これ以上関わろうとするなら自分の指を切り落とすと宣言する。
「ヒットマンズ・レクイエム」でもマクドナー監督と組んだコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンが主人公パードリックと友人コルムをそれぞれ演じる。共演は「エターナルズ」のバリー・コーガン、「スリー・ビルボード」のケリー・コンドン。2022年・第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門でマーティン・マクドナーが脚本賞を、コリン・ファレルがポルピ杯(最優秀男優賞)をそれぞれ受賞。第95回アカデミー賞でも作品、監督、主演男優(コリン・ファレル)、助演男優(ブレンダン・グリーソン&バリー・コーガン)、助演女優(ケリー・コンドン)ほか8部門9ノミネートを果たした。(https://eiga.com/movie/97618/より)
9.2/10.0
「行き過ぎたユーモアで、その場が冷え冷えになる」的なことは、誰しもが経験あることだと思うが、そんな状況をシリアスな一本の映画として描いたのが本作だ。
上記あらすじでも引っ張ってきているが、本作を観ている間は「一体、なぜ?」が止まらない。
狭く娯楽の少ない島(村)で、14時には仕事を終え、パブに集まってビールを飲むが唯一の楽しみなのに、長年の友人から絶縁を言い渡されるからだ。
しかも、コリン・ファレル演じる主人公のパードックには全く心当たりがないため、途方に暮れてしまう。
観客として一歩引いた状態で観ていると、コルムに話しかけては邪険にされるパードックが悲しくもあり笑えるのだが、後半になると状況が一変する。なんとコルムがパードックに話しかけられるたびに実際に指を切り落として、パードックの家にその指を投げ込んでいくからだ。
側から見ていると、確かにパードックはいい年をしたおじさんなのに、どこか大人になりきれない幼稚さを感じさせる*1。海の向こうの本土・アイルランドでは内戦が繰り広げられ、この島からも銃撃や砲弾の音が聞こえてくるのだが、パードックはあまり関心を示さない。
他にも港のある街(=この島でも都会にあたるエリア)では、パードックは「つまらない男」と馬鹿にされる描写がある。
狭いコミュニティのなかで満足し、外の世界=社会には大きな関心がないようなシーンが多い。
それをコルムが良しとせず、「つまらない男とは会話をしたくない」と一向に姿勢を変えない姿を見ていくにつれて、(邪推ではあるが)「ある可能性」に思い至る人たちも少なくないのかなと感じる。
100年前の狭いコミュニティでは、おそらく御法度であろう考えがコルムによぎったのかはたまた、、明確な描写は本作では描かれない。
長年そばにいても相手の気持ちが分かり得ない状況を描く本作は、同時に分かり合うことの尊さを逆説的に伝えてくれている、とも言える。
煮え切らない感想になってしまったが、だからこそ後々まで記憶に残る一本になるのだろう。