海辺にただようエトセトラ

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高橋源一郎『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』(集英社新書)

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2017年12月15日発売。

子供たちの独立国家は、本当に実現するのか?そこで浮き彫りになる、日本の現在(いま)とは?本書は、竹島問題、憲法改正象徴天皇制などのアクチュアルなテーマを、架空の小学校を舞台に平易な言葉で論じる、一八世紀以前にヴォルテールやルソーなどが得意とした「小説的社会批評」だ。謎の園長・ハラさんが経営する小学校に通う、主人公の小学生「ぼく(ランちゃん)」とその仲間たちは、知性と個性に彩られた不思議な大人たちに見守られながら、少しずつ自分たちの「くに」を創り始める。(Amazonの商品紹介より)

 8.7/10.0

高橋源一郎の最新小説は、新書として出ることとなった。厳密に言うと「小説の形式をとった社会批評」(だから新書)なのだが、ここ数年の高橋の著作はいずれも現代社会に関する批評本が多かった(そして、そのどれもが素晴らしいものだった)。最新作の発表がこの形式となったのも必然ではないだろうか。

物語は小学生のランちゃんの一人称で進められる。明確な単位制などがない自由な校風の学校で学ぶランちゃんは、そんな学校の唯一の課題である「何かの“プロジェクト”に参加し、プロジェクトを達成させること」の実現のために、仲の良い子供たちと自分たちだけの「くに」を創ることにする。*1

子供たちを主人公にした理由は、「フラットな目線を持って“国”と“それにまつわるシステム”を捉え直す」ためだろう。憲法がなぜあるのか、我が国の「象徴」とは一体なんであるのか……子供の視点を借りたからこそ、本書は問題の根源的な部分まで深掘りしている。

個人的には、読書というのは「ハウツー」や「分かりやすい知識」を手に入れるための行いではなく、「書物(=著者)に宿っている哲学を通して、自身の考えをどのように再構築していくか」にある、と考えている。
その点で言えば本書は、ランちゃんたち小学生が「くに」のあり方について考え直す場に立ち会うことで、受け手の国家観を養ってくれる。

作中は様々な引用、というよりかは「サンプリング」がなされている。
例えば、突然出てくる外国人の教師たち「肝太」と「理想」はカントとルソーのことだろうし、終盤に出てくる「とある一家」は……こちらはぜひ読んで確認してもらいたい。

それらについては特に詳しいネタ元が明記されているわけでもなく、そういう意味では本書は少し不親切かもしれない(僕自身不勉強のため、全ての“元ネタ”を把握できているわけではない)。
あくまで個人的な解釈に過ぎないが、高橋は、本書を子供たちが手にした時、思考の幅を狭めたくないために、「参考文献」のような形でリスト化するのを避けたのかな?と感じた。

この本を読み終えたあと書店に行き、気に入ったタイトルの書籍があればそれが彼らの「次の先生」となるのだろう。
タッチは軽妙だが、本書にはそのように受け手を動かす力がある。

本書が「小説の形をした社会批評」なら、↓は「書評の形をした社会批評、もしくは連作短編小説集」と言えるかな、と思う。

高橋作品の他の記事はこちらを。

sunnybeach-boi.hatenablog.com

*1:高橋の著作を追っている人ならお気づきだろうが、本作に出てくる学校や主人公一家は実際の高橋家周辺がモデルとなっていると見て間違いないだろう。