海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

スリー・ビルボード/Three Billboards Outside Ebbing, Missouri

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2017年・第74回ベネチア国際映画祭脚本賞、同年のトロント国際映画祭でも最高賞にあたる観客賞を受賞するなど各国で高い評価を獲得したドラマ。米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な広告看板を設置する。それを快く思わない警察や住民とミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へと転がっていく。娘のために孤独に奮闘する母親ミルドレッドをフランシス・マクドーマンドが熱演し、ウッディ・ハレルソン、サム・ロックウェルら演技派が共演。「セブン・サイコパス」「ヒットマンズ・レクイエム」のマーティン・マクドナー監督がメガホンをとった。(http://eiga.com/movie/87781/より)

9.4/10.0

個人的には、『最後の追跡』や『LOGANに通ずる、テン年代西部劇の大傑作だと思う。

現代社会には、かつての西部劇で描かれていたような「分かりやすい悪」は存在しない。誰もがある側面では加害者となり、ある側面では被害者となる。

最後の追跡』の主人公であるカウボーイの兄弟は、銀行をターゲットに強盗を繰り返す悪党だ。だが、彼らにも言い分がある。債権者からの不利な貸付によって、財産である家を不当に差し押さえられてしまっているのだ。
そんな理不尽を前に、「銀行から金を奪うことは正当な行為だ」と主張する主人公たちを観ているうちに、「どうか逃げ切って、彼らが子供たちと人生をやり直すことができるように……」と、思わず観客は願ってしまう。
スリー・ビルボード』も拳銃による打ち合いこそ出てこないが、「世の理不尽さに打ち克つ」という精神性は、確実に「現代西部劇」であると感じている。

この作品には「分かりやすい悪(=娘を殺した犯人)」はいるが、フォーカスが当たるのは「善悪にグラデーションのある市民たち」だ。

主人公ミルドレッドの持つ、進展しない捜査の苛立ちには共感するが、彼女が攻撃を行う署長も決して悪人ではない。彼は癌に冒され余命幾ばくも無いなか、誠実な勤務態度や人柄によって、地元から絶大な信頼を得ている。
つまり、物語のテンプレートでよくあるような「怠慢な悪徳警官」ではない。

「事件の悲しみや怒りはわかるが、幼い娘を持ちながらも余命わずかな署長の気持ちを考えろ」と、時には怒る市民たちの心情も理解できる。
そんな署長に心酔しているディクソン巡査は、ミルドレッドや、広告を出稿した代理店への怒りを隠さない。彼の気持ちも分からなくもないが、映画で展開される暴力的な姿勢は、警察官として正しいものであろうかという疑問がよぎる。

このように、本作は誰かに感情移入して観るような映画にはなっていない。
しかし清濁合わせた人間が生活する街は、我々が生きている社会と地続きである。その中でどう関係性を作り上げていくべきかが、物語では描かれている。

中盤のある人物の決断・アクションにより、物語は大きく動き出す。
ネタバレになってしまうので詳細は書けないが、ここから「誰もが加害者」という状況が生まれていってしまう。そこで各人が起こす行動に注視すると、非常に感動的だ。

「起こってしまったことにどうケリをつけていくか」。かなり過激な展開で物語は進んでいくのだが、それぞれが自分なりに考えて、寛容な姿勢を見せ始めていく。
誰もが(肉体・精神ともに)傷ついていきながらも、導き出していく答えには震えた。

観た人にしか分からないだろうが、「広告料の支払い主」「オレンジジュースを差し出す」「酒場の喧嘩」…すべてのシーンが、爽やかさすら感じさせるラストシーンへの積み重ねとなる様は圧巻だった。

そして、『MAD MAX怒りのデスロード』『ワンダー・ウーマン』『アトミック・ブロンド』『ELLE』……「とにかく強ぇー女が見たいんだ!」という映画オタクの皆さん、お待たせしました!

今年トップクラスの「強いオンナ」のお出ましです!!!!