海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序/EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE.(2007年,庵野秀明総監督)

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1995~96年に放送され、社会現象を巻き起こしたTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を、新たに4部作の劇場版として構成する「新劇場版」の第1部。原作・総監督はTV版に続いて庵野秀明。新作パートの画コンテに「日本沈没」の樋口真嗣、「交響詩篇エウレカセブン」の京田知己など、豪華スタッフ陣が参加。14歳の少年・碇シンジは、10年ぶりに再会した父ゲンドウが司令官を務める特務機関NERV(ネルフ)に呼び出され、人型決戦兵器エヴァンゲリオンに搭乗し、使徒と呼ばれる謎の敵と戦えと命令される。(https://eiga.com/movie/34139/より)

8.0/10.0

アニメ映画のサグラダファミリアと化していた新エヴァの最終作がついに上映された。
その復習がてらこれまでの作品について感想を書いていきたいと思う。

まず新劇場版の第1作の上映が2007年ということに驚く。「エヴァ序」は、まだ「まどマギ」も「君の名は。」も、ましてや東日本大震災すらなかった時代の作品なのだ。

確か新劇は制作発表当初に「エヴァをリアルタイムで知らない世代に、娯楽路線を強化してわかりやすくリブートする」という声明が出されていたが、なるほど本作を見返すとシリーズ序盤のクライマックスである「ヤシマ作戦」までをスマートにまとめているなという印象だ。

一方でこの作品で描かれていることをそのまま受け取ると、正直人間ドラマや映画としては結構厳しい作りだなとも思える
3年ぶりに14歳の少年が実の父に呼ばれて、初めて見る兵器に乗り込んで通常兵器の効かない未知の敵と戦わされる序盤は、唐突な展開が多すぎて初見の人は戸惑うだろう。
ゲンドウの大怪我を負ったレイをストレッチャーで運び出す演出も、本当に「シンジをエヴァに乗せるためだけの小芝居」といった感じで*1、今見ると少し笑ってしまう(ミサトさんの説得も意味不明だし)。

しかしあくまで本シリーズは「主人公のシンジが絶えず現れる困難に対し、どう行動を起こしていくか」が物語の根幹であり、「現れる困難」の必然性はある程度度外視する必要がある。
この作品で起こる出来事は、原作者である庵野秀明の体験をベースにしたものであることは有名な話であるが、庵野自身がスポンサーや会社の上層部、その他の人間関係を下敷きにこの物語を作り上げたことは想像に難くない。
だからレイのくだりも「庵野監督はここまで追い詰められながら制作に挑んでいたんだな」という心象風景の一つ、と言ってしまっても良いのかもしれない。

なので困難の必然性はさておき、「困難のリアリティ」には非常に説得力がある。自分よりも立場を上にする人間からのプレッシャー、他人の事情を盾に押し通されてしまうわがまま……子供よりも大人がこのシリーズに惹かれるのは、このリアリティがあったからこそだろう。

そう思いながら、ヤシマ作戦まではシンジとレイの交流がメインに置かれた本作を観ていくと「同じ仕事をしているのに、全く理解できない他人と心を通わせていく尊さ」が描かれているなと感じる。
シンジは、自分が苦手な父親を心酔し、エヴァに乗ることを厭わないレイの存在が不可解である(自分と真逆だからだ)。しかし、彼女のある種ひたむきな姿勢に惹かれ、最後は手に火傷追いながらも彼女の無事を確認(=彼女を理解)しにいく。
旧作ではレイはこの時シンジにゲンドウの姿を重ねるが、今回はそうはならない。これは単に尺の都合でのカットではなく、新たな意図が込められていると思う。

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*1:だって、あのままレイが乗ったら死ぬのは明らかなので