海辺にただようエトセトラ

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PS4 『ライフ イズ ストレンジ 2/Life Is Strange 2』(DONTNOD/SE)

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フランスのゲームスタジオ「DONTNOD」が開発し、スクウェア・エニックスより発売されたコンピュータゲーム。グローバル版が2018年9月以降に、日本語版が2020年3月26日発売。

『Life is Strange 2』はプレイヤーの選択によって物語の内容が変化するアドベンチャーゲームです。主人公は、シアトルに住むごく普通の兄弟。ある悲劇的な事件の後、兄のショーンは、超能力に目覚めた弟ダニエルを連れ、自分たちの居場所を求めて父親の故郷であるメキシコ「プエルト・ロボス」までの逃避行を始めます。(https://www.jp.square-enix.com/lis2/より)

9.3/10.0

シリーズ根幹の魅力をブラさなかった続編

「ライフ イズ ストレンジ 2(以下、LIS2)」の素晴らしいところは、まずは前作から大きく物語の方向性を変えつつも、シリーズ根幹の魅力をブラさなかった(あるいは、魅力がブレなかった)ことにある。
シリーズ2作のみ*1でそうプレイヤーに感じさせるということは、それだけ「LISシリーズ」が、アドベンチャーゲームにおいて確固たるブランドを築いたということなのだろう。

「LIS」というブランド

世界が拡大した続編

では、そのブランドとは何か。端的に言ってしまえば「LISらしさ」に他ならない。

田舎に立つありふれた高校のスクールカーストという「日常」の延長上に、「時を戻す超能力」というSF設定を設け、アドベンチャーゲームの新たな金字塔を打ち立てた前作とは打って変わって、続編となる本作は、物語の移り変わりが非常にダイナミックだ。
主人公兄弟は二人が住むシアトルからメキシコへ向かい、道中様々な人と事件に巻き込まれていく。つまり「ガワ」だけみれば箱庭的な前作と比較すると、物語は大きく方向を変換したと言える。

しかしその「変換」があったからこそ、本作は間違いなく「LISらしさ」に溢れていると言い切れるのだ。

ロケーションの変化が兄弟の関係性の変化を暗喩

その「LISらしさ」の一つとして挙げられるのが「他者との関係性」だ。本作では、主人公兄弟はチャプターごとに異なる土地を渡り歩き、そこで出会う人や環境に自分たちの人生を左右されていく。

まるでストレンジャーシングスの「エル」のような超能力を持った弟ダニエルを、プレイヤーでもある兄ショーンはどう導いていくべきか−−善悪で判断しきれない選択肢を選んでいくごとに、兄弟の関係性や事態の結末が変わっていく。
つまり、「兄弟がチャプターごとに土地を渡っていくこと」そのものが「二人の関係性の変化」のメタファーとなっている。そういう意味では「選択肢がのちのちの結末の変化を呼ぶ」というLISの魅力をさらに強固なものにしたと言えるだろう。

ポリティカル・コレクトレス的な視点

本作の最も顕著な部分を挙げるとするなら、いわゆる「ポリコレ的視点」にあると思う。

メキシコ移民2世である主人公兄弟は、シアトルから南下するにつれて(ある種当然とも言えるが)保守的な人物/差別主義者たちとの「価値観のギャップ」「民族差別」にぶち当たっていく。分かり合える人間もいれば、譲歩の余地すらない人間まで登場してくるが、これこそが「アメリカ」のリアルなのかもしれない。*2
とはいえこういった排外主義は我々日本人にとっても対岸の出来事ではない。親の仇のようにメキシコルーツを憎む人間たちのヘイト感情を持つ人間の愚かしさから学ぶべきことは大いにある。

また、物語のネタバレになってしまうので詳しくは触れないが、LGBTQを通じての柔軟な人との繋がり方を描いたのは見事。主人公、ひいてはプレイヤーの価値観で物語が変わる部分があるのはとても画期的であると思う。

カットシーンの増大

一方で気になったのがカットシーンの増大だった。

前作では超能力を持った本人を操り、選択肢のやり直しや行動の変化ができたのと異なり、本作はあくまで超能力者本人を操作はできない。

ゆえにカットシーンでの選択肢を選ぶ作業が、ストーリーの進行上最も重視されている。
なので主人公を操作するパートは、あくまで物語の世界観を補完するにとどまっている((人家の調度品を見て住人の人となりを推察する、などのが余計にカットシーンを冗長に感じさせる部分もあった。もう少し操作している中で物語を動かすギミックがあればなお良いなと思うが、それでも今作が傑作であることには変わりはない。

大傑作の前作もどうぞ。

*1:スピンオフや短編を含めれば4作になるが

*2:そういう意味ではとにかくリベラルな信条を持つ人物ばかりが出てきた『デスストランディング』とは好対照だ。