『メタルギア』シリーズの生みの親であるゲームクリエイター、小島秀夫が独立し立ち上げた「コジマプロダクション」第1作目のSFゲーム。2019年11月8日発売。
9.5/10.0
小島作品と僕
小島監督は常々「新しいゲーム体験」を僕たちユーザーに提供してきた。
初代『メタルギア』は、当時のゲーム容量的に敵キャラクターを多人数置けないことが判明し、逆転の発想で「潜入(=非戦闘)に特化したゲーム」となったことは有名な話だが、この「なるべく戦わず進めるアクションゲーム」という斬新さに胸を躍らせた少年少女は数多くいるだろう。
僕の小島作品原体験は、その『メタルギア』をより映画的にアップデートさせたPS1作品『メタルギアソリッド』だったが、あの時の興奮は忘れがたい思い出である。
映画を好きになったのも小島監督の影響が非常に大きい。
そんな小島監督が次に見せてくれる景色はなんだろうか……。僕と同世代のアラサーなら共感してもらえるだろうが、ゲームという娯楽から距離を置こうとも小島作品は別腹だ。ほとんど前情報のわからないPVを見ながら、ワクワクとともに本作を手に取った。*1
また見ることができた「新たな景色」
難解な世界観、ストーリー
小島作品に求めるものは多くある。斬新なストーリー、悪役でも美学を持ったキャラクター、一癖あるゲームシステム、メタ的な視点も持ち込んだユーモア溢れるギャグ……。
このどれもが有機的に混じり合うことで、極上のゲーム体験を味わえるのだ。
しかし本作は比較的わかりやすかった軍事諜報モノとしての『メタルギア』シリーズを求めると全く別物だ。ジャンルとしては、「ホラーで味付けされたハードSF」といったところだろうか。そしてこの作品固有の、観念的な専門用語が会話の中で当たり前に飛び交うため、容易に理解できるストーリーになっていない。
『メタルギア』であればシリーズを通して「核搭載戦車の『メタルギア』を破壊すること」「反核兵器」が大目的であり、プレイヤーは(回り道はあれど)それに向かって進めていけばいい。
しかし本作は「アメリカの再建」という非常にあやふやな目的を、「配送」という行為を通して達成してくれと周囲から頼まれる。はっきり言って序盤は意味がわからないので、ここで脱落したプレイヤーも少なからずいるのではと思う。
面倒な「おつかいゲー」ではなく、「過程そのもの」を楽しむゲーム
加えて本作には派手なアクションはなく、いわゆる「おつかいゲー」としての要素が多分にある。なにせ主人公は「伝説の運び屋」なのだ。必然的にミッションは「A地点からB地点へ荷物を運ぶ」ことがメインとなる。
しかも序盤は電気もまともに通っていない街を行き来するため、移動手段は徒歩がほとんど。さらに移動の際は地形にも注意を払わなければいけない。道の斜面はどのくらいか、歩くのに邪魔な石は落ちていないかなど、大量の荷物を背負うとちょっとのバランスで躓き荷物をぶちまけてしまうからだ(荷物は落とすと破損し、ミッションの評価に影響する)。
そんなわけで序盤はマジで苦行。のっそのっそ歩く自分の分身を眺めながら「ひょっとしてとんでもないゲームを買ってしまったのでは……」という思いに頭が支配されること必至だ。
……しかし、不思議と続けていくとこの配達作業は楽しくなっていく。個人的にはいわゆる「おつかいゲー」は好みではないのだが、ゲームバランスが優秀なのだろう。ちょっとでも工夫をすれば配送のスキルはぐんぐん上がり、物語を進めて乗り物に乗って配送ができる頃になると、「物を運ぶ過程そのもの」が快感になっていく。
皮肉にもゲームの世界では「配達中毒」となってしまい、配達人の荷物を狙うテロリストが出てくるのだが、彼らの気持ちもわからんでもないのだ。
もちろんこの「苦行→快楽の境界点」は個人差があるし、快楽にたどり着かない人もいると思うので無責任には言えないが、このゲームを「退屈」と感じる人がいれば、もう少し辛抱してほしいと思う。
ハードSF的ストーリー
さらに本作へのハードルを引き上げているのが非常に難解(というか説明不足な)ストーリーだろう。「メタルギア」を求めていた人には、この点にがっかりされているのではと推測する。
本作で描かれる物語は、世界規模で潮流となっている「純文学の要素も取りこんだハードSF作品」の系譜にあると感じた。
近年であれば『メッセージ』という邦題で映画化されたテッド・チャンやケン・リュウ、日本では飛浩隆などの小説が好きな方はすぐにのめり込める世界観であると思う。
しかし一方でそれらSF作品は万人受けする小説ではない*2。ゲームという大衆性の高いメディアでここまで観念的な物語を持ち込んだのは相当な冒険ではないかと思う。
かといって本作で語られる物語は決して突飛なものではなく、あくまでも僕らが今暮らす世界の延長にある考え方が反映されている。
滅んだ後の世界で、「国家」という共同体への諦めが満ち満ちた(かつての)アメリカ。だからこそ「つながること」の大切さを思い起こし、ここに暮らす人々へ配達をしユナイトしていく。
緩やかにつながるオンライン要素
始まりは 炎や棒きれではなく 音楽だった(星野源「POP VIRUS」)
ゲーム内でBGMとして登場する星野源の上記の曲の歌詞とも呼応するように、本作は「棒(暴力・攻撃主体)のゲーム」でなく「縄(互助主体)のゲーム」であると小島監督は語る。
その「縄」という比喩を象徴するのが「オンライン機能」だろう。本作でのオンライン機能は、よくある他のプレイヤーとの対戦要素などはない。
広大なオープンワールドのマップ上に、他プレイヤーが建設した設備(体力を回復する休憩施設や、難所を渡るためのはしごや橋など)を利用することができるのだ。
この機能のおかげで格段にプレーが進めやすくなる。もちろん自分が設置した設備も他プレイヤーに利用してもらうことができるので、ネットで繋がった顔もわからない人たちと助け合えることにほんのりと心が温かくなる。
プレイヤーは他プレイヤーの設備に対して「いいね」を贈り合えるが、実はこの互助プレーによって得られる報酬や実利は特にない。しかし、この塩梅が非常にいい。自分の設備がリアルタイムで利用され、「いいね」の通知が来るとゲームをするモチベーションが上がるのだ(報酬がなくとも!)。本作は広大な大地に主人公(プレイヤー)一人が孤独に配達を進めるゲームなので、「どこか別のテレビ越しにもらう“いいね”」がとても心地よいのだ。
少し難点もいくつか
冗長・説明過多なカットシーン
とはいえ新しい挑戦を両手放しに褒められるかというと、いくつか難点も見受けられる。その一つがカットシーン(ムービー)であろう。
マップや施設の配置から察する*3に、要所要所で予算の削減を感じさせられる部分があった。おそらくカットシーンも「登場人物の口から過去の出来事、惨劇が一部始終説明される」という場面がいくつもある。
語られるエピソードは、それこそムービーで見たいじゃん!のオンパレードなのも惜しい(フラジャイルの過去とか)。無い物ねだりなのはわかるが、過去の物語がムービーとして補完されていたら非の打ち所のない作品になっただろう。
ビークルの少なさ
これも上記同様無い物ねだりだが、ビークルがバイクとトラックだけなのは少々物足りなかった。
ドローンが用いられない事情は作品内で語られるのだが*4、荷物を遠方に運ぶのであれば時雨対策のできる空のルートなどが解禁されるとマップを縦断できて楽しかったなと思った。……それだと国道作る意味がなくなってしまうが。
新しいゲーム体験を求める人へ
本作は手放しで全てを褒められるわけではないが、今までにない質感のゲームを作るにあたってはもちろん挑戦が必要なわけで、難点を補ってあまりあるゲーム体験が待っていることは保証したい。ぜひみなさんにも配達依存症になっていただきたい。