海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

アイドルに「不完全性」を求めること

連日の気温の寒暖差が激しいせいか、体調を崩してしまった。
体調が良くないと頭もうまく回らないし、頭がうまく回らないと仕事もうまく進まない。
そんな時に仕事と関係ないことに考えを巡らし、文章にしていくと不思議と頭がチューニングできて心が整理され、体調も良くなり仕事もうまくいき、年収も上がる(嘘)

ということで、今回は前々からちょこっと考えていたアイドルについての文章を書こうと思う。
といっても、僕自身アイドルに詳しいわけではないので見当違いな記述があったらすみません。あとアイドルに詳しい人にとっては、目新しいことは一切書かれていないと思います。

「アイドルは“欠点”が魅力になる」らしい

カギカッコでくくった部分は確か吉田豪が言ったことだと思うのだが、タイトルの通りアイドルは「欠点」が魅力となる(らしい)。
要は「歌がイマイチ」だとか、「ダンスにキレがない」とか、エンタメとして補うべき部分がある方がファンは応援したくなる=推せるという理屈だ。

もちろんこれは吉田豪のいち意見でアイドルファンの総論ではないのかもしれないが、少なくともこの国のアイドルファンの多くの人は、この思考が根底にあるのかなと思った。

その思想を金づるとして「ビジネスチャンス」と見抜いて現在も頂点にいるのが、もちろん秋元康がプロデュースする48・坂道系のグループだろう。
僕自身彼女たちの曲を熱心に聞いたことはないが、今まで耳にした曲で「歌がうますぎて感動した!」「ダンスが神がかってる!」みたいな体験は一度だってない。*1

応援したい=努力の過程を見たがる人が多い(のだと思う)

アイドルグループのファンは総じてお金を落とすことを「応援」という。先述した「補うべき欠点」が埋められていく過程を追ったり、努力している様を見たいがために、お金を落とすのだろう。現に秋元グループ(語弊あるかもですが以降こう書きます)は、ことあるごとにドキュメンタリー映画が作られている印象がある。
観たことないので詳しい内容は不明だが、おそらくコンサートやら総選挙やらの裏側を見せることで「彼女たちはこんなに頑張っているのか!」とファンは感動するのだろう。

この点も僕は非常に疑問で、「そもそも人前に立ってパフォーマンスをする人は、多かれ少なかれ努力を行っているのが当たり前」という思いがあるからだ。なんなら、常人にはできないようなパフォーマンスを、涼しい顔で披露してくれる人にこそ、強い魅力を感じてしまう。別に推しメンがレッスン中に酸欠でぶっ倒れる姿を見せられても、悲しい気持ちにはなっても感動する気持ちにはなれないだろうなぁと思う。

しかし現金なもので、これが例えば「三浦大知のコレオグラフができる過程」などが映像化されればとんでもなく感動しながら見るのだろう。結局、「努力」を売り物にすると「いかに努力して良い結果を出したか」という数値を争うような、競技的な部分がフィーチャーされてしまう気がするのだ。それはエンタメを楽しむ上で本意ではない。

結局、製作陣のレベルの差じゃないの?

そんなこんなで「アイドルとは“欠点”が魅力となる」という論にイマイチ首肯できないまま時は流れ、気付くと日韓共同のプロジェクトとしてスタートしたIZ*ONEがデビュー曲を発表した。

この曲を聴くと「アイドルに欠点がある」のではなく、「製作陣が単に実力不足なだけでは?」という考えにシフトしていくようになる。

いつかSNSで「その映画が良い作品になったら、出演俳優の実力があったから。悪い映画になったのなら監督の技量不足」という言葉を目にしたが、それに近い感覚だ。

・IZ*ONE(アイズワン) 「La vie en Rose」

御託はともかく↑の動画を見てもらえればわかるが、曲のクオリティがとんでもなく高い
EDMがかつての勢いを失ったご時世に出たこの曲は、

  • ラテン的なフレーバーと三味線チックな弦楽器が調和して、どの国から見ても異国情緒的な魅力を持ったトラック(すなわち、どの国の人が見ても「新しさ」を感じる)
  • 紋切り型の淡いラブソングでなく、あくまで彼女たちがアイドルとしてデビューし「バラ色の人生」を願い歌い上げるような歌詞
  • ダンスの素人が見ても「香水」をモチーフとしたのが一目でわかるドロップの振り付け

……その全てが調和し、12人のアイドルが魅力的に映されている。
専門家ではない一素人の意見に過ぎないが、彼女たちが歌、ラップ、ダンスの全てにおいてクオリティがダントツ高いというわけではない。現に日本人メンバーの、ハングルというよりは「カタカナのオノマトペ」を発しているようなパートは聴き込むと違和感があったりする。

しかしそれを補って余りある「トータルのクオリティ」。この部分は上記に挙げた「欠点」以上に推せる部分ではないだろうか。

結局、製作陣のレベルの差じゃないの? Pt.2

つまり何を言いたいかというと、曲やパフォーマンスの欠点を「アイドルとは欠点を作るべき(=それが魅力繋がるから)」というロジックを、作品そのもののクオリティの低さの言い訳にしていないか? ということだ。

先ほどの映画のたとえを用いるなら「アイドルがダサく見えるなら、製作陣の実力不足。アイドルが魅力的に見えるなら、本人の実力」と言い切れるくらいの自負を、「ダサさ」や「欠点」を良しとしている運営側は持ってほしいなと思う。

昨今世間で話題になっているNGT48にしても、結局彼女たちの発するコンテンツよりも「アイドルと繋がれる」的なところが大きな資金源になっていたように思う。パフォーマンスの向上よりも、“太客”とつながることで承認欲求を満たしてしまうメンバーと、それに憤るメンバー。意識が離れきった両者を「同じグループ」というだけでまとめるのは不可能だろう。事件があろうとなかろうと、行き着く先は破滅しかなかった。

つらつらと書いてみたものの「お前は何が言いたいんだ」状態になっているけど、「欠点」を言い訳にパフォーマンスレベルの低さを正当化して欲しくないし、「完璧すぎると推せない」わけでもないよってことです。まぁつまるところ好みの問題でしかないんでしょうけど。

ちなみにめちゃくちゃIZ*ONE推しみたいになってますが、一番好きなのはBLACKPINKです

*1:あくまで個人的な感想です