海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

tofubeats 『RUN』

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トラックメイカーであり、シンガーでもあるアーティストのメジャー4作目。2018年10月発売。

M-1. RUN
M-2. skit
M-3.ふめつのこころ
M-4. MOONLIGHT
M-5. YOU MAKE ME ACID
M-6. RETURN TO SENDER
M-7. BULLET TRN
M-8. NEWTOWN
M-9. SOMETIMES
M-10. DEAD WAX
M-11. RIVER
M-12. ふめつのこころ SLOWDOWN

 8.5/10.0

僕にとってtofubeatsは不思議な存在だ。

デビュー当初は「インターネット世代のミュージシャン代表」のような触れ込みで、懐かしさと先進性をミックスさせたJ-POPを量産していた。

森高千里藤井隆といった、「狙っている」人選が鼻白む瞬間もあったが、クオリティの高さには文句のつけようもないため、なんとなく「器用な人」という印象を受けた。

また、「“朝ダン”には政治的な意図を含んでいない」「(デモのBGMなどの)政治的な利用はやめてほしい」といった潔癖感も「“同世代あるある”だなぁ」と理解しつつも、少し残念な思いを抱いたこともあった。

要は「好きだけど、微妙」みたいな距離感で毎年彼の新譜を受け入れていたのだ。

そんな彼への想いが大きく変わったのは、前作『FANTASY CLUB』に収録された珠玉の名曲の数々だった。

それに関しては一年前の拙稿に譲るとして、tofubeatsは間違いなく僕の中で特別なアーティストになったのだった。そんな彼が実に短スパンでリリースした本作も、数リリースの中でも相当に楽しみしていた作品だ。

客演を一切排した「純粋なソロアルバム」という側面も持つ本作のふたを開けると、予想通りというか彼のインディペンデント精神が突出した作品のように思えた。

tofubeats本人は本作を「POPな作風とした」とインタビューなどでは言っているが、タイアップ曲(M-3、11)などは確かにそうだが、アグレッシブな歌詞が印象的な冒頭のM-1を筆頭に、尖ったものが多い。

そもそも、6〜7分という長尺のハウスなダンスビートがど真ん中に置かれたアルバムが、果たしてPOPなのか?(M-5〜7)という疑問はさておき、アルバムの流れは聴いていて非常に気持ちいい。
ポップスを好んで聴く層と、渋谷のVISIONにフラッと踊りに来る層をスムースに橋渡しする手腕は見事としか言いようがない。

彼が大きく影響を受けたであろうPara Oneのようなボーカルのカットアップとツーステップなビートが心地いいM-8や、衝撃的な曲だった「SHOPPINGMALL」へのセルフアンサーとも言えるような(「最近好きなアルバムあるかい?」→「好きなレコードを教えて欲しい」)M-9など、アルバム曲も単体で聴いても素晴らしいクオリティだ。

その流れで聞き進めると、M-10のシリアスさにはこちらも居住まいをただしてしまう。
ピッチ補正のみにとどめた「限りなく生な声」で届けられる「音楽が終わってしまった」という歌を、僕たちはどう捉えるべきか。

 個人的には磯部涼の著書『音楽が終わって、人生が始まる』を思い出させた。

音楽が終わる瞬間とは、どう言った状況だろう。ライブのアンコールが終わった瞬間、会社に到着してイヤホンを外す瞬間、待ち合わせ場所に人が来た瞬間……多くの人にとって、それは自分自身の生活が始まる瞬間なのかな、と思う。

そう考えるとこの曲は、何も悲しい幕切れを示唆していない(ように感じる)。

スマホのプレイボタン、レコードプレイヤーの針、クラブやライブハウスの分厚いドア、それらによっていつだって音楽は始められるからだ。

アルバムの終わり方もとても良い。
前作の「BABY」と対比になるように「愛」という直接的な言葉が出て来るラブソングであるM-11と、先行曲の中でも浮いていたM-3をあえてスクリュー・リミックスし、M-12として再登場させることによって、アルバムの背骨としてしまう人を喰ったような構成も痛快だ。

作品としてのクオリティは高くとも、「思いや思想」においては未消化気味だった『FANTASY CLUB』のメッセージに蹴りをつけたような作品。

新しいもの好きのリスナーは少し物足りないかもしれないが、次の作品はより化けるのだろうなという楽しみも深読みできる。

M-1. RUN

 M-3.ふめつのこころ

M-11. RIVER

Amazon限定でRIVERのセルフリミックス付きが販売されています。