海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

彼の見つめる先に/ Hoje Eu Quero Voltar Sozinho

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ブラジル・サンパウロを舞台に、思春期の若者たちの揺れ動く感情をみずみずしく切り取った青春ドラマ。世界各地の映画祭で話題を呼んだ2010年の短編映画「今日はひとりで帰りたくない」を、監督のダニエル・ヒベイロ自身が同じキャストを起用して長編映画化した。目の見えない高校生のレオは、少し過保護な両親や優しい祖母、いつもそばにいてくれる幼なじみの女の子ジョバンナらに囲まれて平穏な生活を送っていた。ある日、彼のクラスにガブリエルという少年が転校してくる。レオとジョバンナは、レオの目が見えないことをからかったりしないガブリエルと自然に仲良くなっていく。ガブリエルと一緒に映画館に行ったり自転車に乗ったりと新しい世界を知るレオだったが、やがてそれぞれの気持ちに変化が生じはじめ……。2014年・第64回ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞とテディ賞を受賞。日本では「ブラジル映画祭2015」で上映、18年に劇場公開。(http://eiga.com/movie/82113/より)

 8.0/10.0

この映画に関しては、もはやビジュアルにビビッときたかどうかで劇場に足を運ぶべきかどうかを判断してもらいたい。少なくとも何かを感じた人なら、後悔することなく、素敵な100分間を過ごせるはずだ。

勘の良い人はビジュアルやキャッチコピーなどですぐ察してしまうかもしれないが、できることなら前情報を一切抜きにして観てもらいたい映画。
少年少女たちの交錯する淡い想いに関しては、彼らの視線や仕草から徐々に感じ取ってもらい、物語の行方を追った方が思春期の焦燥感を追体験できると思う。

ということで、映画の中身にほとんど触れたくないため、これ以上書き進めようがないのだが、特に感じ入ったことを何点か書き留めておきたい。

本作の主人公、レオは盲目の少年だ(役者は当時14歳の健常者。演技力凄い)。彼は目こそは見えていないものの、作中で最も聡明かつ純粋に物事の本質が「見えている」人物だ。
本人にとっては当然不自由な世の中に感じるかもしれないが、人の本質的な美しさが見通せる感性はとても羨ましく思えた。

作中ではレオをからかういじめっ子が出てくる。彼は美しい金髪を長く伸ばし、見た目は非常にハンサムな少年だ。しかし物語を追っていくと、彼自身の行いによってだんだん醜く見えてくる。当然、レオは彼のことを軽蔑している。
「ルックスという一次情報」に惑わされて、僕たち観客は「魂の美しさ」に気付けていないことを、この映画が示しているように感じた。

一方で「見えないもどかしさ/切なさ」も、当然であるが描かれる。
終盤に訪れる、キャンプの夜のプールのシーンが象徴的だ。
ここではレオが思いを寄せるある人物が、プールで別の人とはしゃいでいるところに出くわしてしまう。

「レオも早くプールに入りなよ」と誘われるが、ここではプールではしゃぐ二人の絵は映されない。はしゃいでいる二人の声を聞きながら、何かを言いよどんでしまっているレオの顔が映され続ける。
まるで、レオが体験していることをそのままに表現したような、このシーンの切なさといったら。

【余談】

映画そのものの感想とはズレてしまうが、洋画が興行的に苦しいとされる昨今、特に非英語圏の作品は厳選されたものしか日本に来ない印象が多い。
本作も2014年公開作品ということで、その差実に4年。それだけの道のりを経て上映されている映画なので、作品の質に間違いはないのだ。