海辺にただようエトセトラ

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パラサイト 半地下の家族/기생충

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殺人の追憶」「グエムル 漢江の怪物」「スノーピアサー」の監督ポン・ジュノと主演ソン・ガンホが4度目のタッグを組み、2019年・第72回カンヌ国際映画祭韓国映画初となるパルムドールを受賞した作品。キム一家は家族全員が失業中で、その日暮らしの貧しい生活を送っていた。そんなある日、長男ギウがIT企業のCEOであるパク氏の豪邸へ家庭教師の面接を受けに行くことに。そして妹ギジョンも、兄に続いて豪邸に足を踏み入れる。正反対の2つの家族の出会いは、想像を超える悲喜劇へと猛スピードで加速していく……。共演に「最後まで行く」のイ・ソンギュン、「後宮の秘密」のチョ・ヨジョン、「新感染 ファイナル・エクスプレス」のチェ・ウシク。(https://eiga.com/movie/91131/より)

9.8/10.0

※パンフレットには監督から「ネタバレを控えるように」というお達しがあったので、極力内容に触れない文章を心がけております。

パルムドール作品がここ数年自分の求める映画にドンピシャなので楽しみにしていたが、さすが熟練ポン・ジュノ監督最新作。根底はがっつりエンタメ作品としての「楽しさ」を下地にしつつも、コメディからヒューマンドラマ、ホラーへと転調していっては観る者を惹きつけ、あっというまの2時間ちょっとだった。

重くなるしかないテーマであっても、観客に「負荷」を与えすぎない塩梅も絶妙かつ見事。*1そういう意味では『家族を想うとき』を観た直後のようなどうしようもない無力感には襲われないので、あちらよりは万人向けの作品であるとも言える。

いくつも印象的な場面が残っているが、その中の一つに

「知り合いづての紹介(仕事)しか信用しない」

というセリフがある。昨年非常に興味深かったインタビュー記事を引用すると、

日本の富裕層は隠れるのがうまいんだと思うんですよ。(中略)何でかというと、富裕層だけが暮らす地域に住んで、富裕層だけが行くレストランに行って、富裕層だけが行く商店で買い物をする。だから接点がないんだと思うんです。 

とある。これは日韓、というか国を問わない事象なのだなと痛感した。(本作を観た後であれば、この一文に納得する方も多いのでは。)
確かに庶民の僕は億単位の豪邸に住む知り合いがいない。結局金持ちづたいに多額の金は回り続けていて、経済のシステムが不全に陥っていることの証左ではないだろうか。

もう一つはネタバレを避けるため曖昧な書き方になるが、「におい」にまつわるやりとりの数々だ。偽装して各ジャンルのエリートとして職に就いた一家でも、半地下で暮らすゆえにまとう「生乾きのにおい」が取れないのだ。これはもちろん「貧困層」であることのメタファーであるが、仮に貧困層が努力の末に這い上がったとしても「におい」が取り払われることはないのか……と、しんどい思いになった(だからこそクライマックスのあるキャラクターの行動も理解できるわけで)。

そしてやはり「韓国映画にこの人あり」と言っていいソン・ガンホの演技力だろう。序盤の頼りなげな父親から、「ある出来事」以降のギアチェジには驚かされる。それにしても殺人の追憶』から全く老けてないように思えるのはこちらの思い過ごしだろうか?

本作は「プランはあるのか?」という言葉が何度も出てくる。それは家族が成り上がっていくために筋書きを描く長男に向けたセリフだ。
しかしここまで個人の努力が及ばない格差が如実になった現代で、「プラン」を練るべき人物は、一体誰なのだろうか。

*1:ポン・ジュノ監督自身も、「格差を経済学観点などから語るのでなく、映画としての面白さを第一に追求した」という旨の発言をしている。