海辺にただようエトセトラ

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ブラインドスポッティング/Blindspotting

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オークランドで生まれ育った親友同士の2人の青年の姿を通し、人種の違う者や貧富の差がある者が混在することによって起こる問題を描いたドラマ。保護観察期間の残り3日間を無事に乗り切らなければならない黒人青年コリンと、幼なじみで問題児の白人青年マイルズ。ある日、コリンは黒人男性が白人警官に追われ、背後から撃たれる場面を目撃する。この事件をきっかけに、コリンとマイルズは互いのアイデンティティや急激に高級化していく地元の変化といった現実を突きつけられる。あと3日を切り抜ければ晴れて自由の身となるコリンだったが、マイルズの予期せぬ行動がそのチャンスを脅かし、2人の間にあった見えない壁が浮き彫りになっていく。スポークン・ワード・アーティスト、教育者、舞台脚本家と幅広く活躍するラファエル・カザルと、ラッパーとしても活躍する俳優ダビード・ディグスが脚本・主演を務めた。(https://eiga.com/movie/91333/より)

9.7/10.0

ミニシアター作品で、『〜スポッティング』というタイトル、主人公はストリートで生きる若い男たち……これらの要素から、完全に先入観で『トレイン・スポッティング』のオマージュじゃねーの?と思っていたが、全く違う作品かつ年間ベスト級の傑作映画でした。取り上げられるトピックに人種や民族による差別があるが、アメリカにのみある問題ではなく、こうした問題が見えづらい(と、思い込んでいる)日本に住む人こそ観るべき作品だ。

タイトルの「ブラインドスポッティング」は、いわゆるルビンの壺のような多義の解釈が生まれる事象を指す作中の造語だ。

まず何より凄まじいのが、コリンとマイルズを演じる主演2人の息のあったやりとりの数々だ。それもそのはずで、この2人はオークランド育ちの友人同士であり、本作の脚本も手がけている。
低予算ながらに多くのロケーションで撮影されているのは彼らの地元だからこそだろう。いわゆるフッドムービー、ブロマンスムービーである。

その2人が引越し業者のコンビとして働いているという設定も良い。地元を去る人、新しく住む人たちと交わされるやりとりは、昔ながらの地元が急激に高級化していっていることを表現している。
地元馴染みのバーガーショップもデフォルトのメニューがビーガン仕様になり、近所のコンビニも10ドルする青汁を売るようになっていく。この変化は、金持ちの人間にフッドが蹂躙されているようで切ない。*1

マイルズはそのような状況に歯がゆさを感じているが、コリンの母親は「この街が安全になっていくのなら良いことだ」と彼らに話す。これもひとつの「ブラインドスポッティング」だ。
同じ街で起こる同じ出来事が、受け手のルーツや立場によって全く異なって見えてくる−−たとえ10年以上に渡って連れ添った幼馴染であっても、だ。

コリンとマイルズの「ねじれ」も興味深い。2人同時にバーの喧嘩騒動を起こしたはずなのに、コリンだけが「重罪犯」として保護観察処分を言い渡されたコリンは、自分が「アメリカで黒人として生きること」の重さを改めて知る。
一方で逮捕を免れたコリンは陽気なまま、「よそ者が増えたこの街で家族を守りたい」と言い訳がましく言っては拳銃を購入する。

劇中でコリンは「アメリカにとってのニ**は、“ガタイがよくて、すぐに犯罪を起こしかねない凶暴な人物であると思い込まれている”」と話す。だからマイルズが、保護観察期間であること御構い無しに暴れることにコリンは激怒する。また逮捕されるのは自分なのだから、と。このやりとりのシーンは非常に激しく、非常に悲しい。
マイルズはどうしようもない馬鹿な一方で、決してコリンのことを「ニ**」と呼ばない。激したコリンが「俺はお前のことをニ**と呼んでる。だからお前も言ってみろよ!」と挑発しても、決して言わない。
ギャングを気取ってどうしようもなく喧嘩してしまっても、コリンのためを思って一線は越えない彼の男気は心底泣ける。*2

あと、男同士の気まずい仲直りも全世界共通なのは微笑ましく感じた。
引越し業者のトラックの中で交わされる何気ない会話で、こじれた結び目がほどけていく様は、今年トップクラスの名シーンだ。

続編があるかはわからないけど、またこの2人に会いたいと強く思う。

*1:パンフレットによるとこういった貧困街の開発をジェントリフィケーションと呼ぶらしい。

*2:この“ねじれ”が巡り巡って反転していくラストの展開も見事だった。