海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

カズオ・イシグロ『日の名残り』(ハヤカワepi文庫)

f:id:sunnybeach-boi-3210:20190607190519j:plain

英国の日系人作家であり、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの1989年刊行の長編小説。本書で世界的に権威のある文学賞ブッカー賞を受賞。

格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々―過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞ブッカー賞受賞作。(Amazonより)

9.5/10.0

読書家にとっては「いまさら!?」と驚かれること必至だろうが、そうなんです。いまさら、カズオ・イシグロを読んでいます。

学生の頃に大傑作の『わたしを離さないで』を読み、リアルタイムで『忘れられた巨人』で脱落し、つい先日デビュー作『遠い山なみの光』を読み非常に感銘を受け、ついに本書を手に取った。

イシグロは執筆当時なんと35歳。いったいどんな経験をすれば、こんなにも人生の重みを感じさせる小説を書けるのだろうというレベルの傑作だ。

過去のアマゾンレビューを見ると「いずれこの方はノーベル賞をとるでしょうね」という投稿があったが、それも納得。
というのも、イシグロはいわゆる観念的な(難しい)文学というよりは、わかりやすいモチーフを用いて、物語で読者をうならせる小説家だ。従って僕たちのような小説の素人にも、「小説としての凄み」が分かりやすく作品を通して伝わってくる。
同じくノーベル賞候補とされている村上春樹とはまた異なるタイプの作家だが、本国イギリスでも多くの方に愛されていることだろう。

閑話休題。本書は、英国の格式高い(と思われる)屋敷で親子2代に渡って執事を務めた男が、新しい米国人の主人の元で取った休暇の最中に、1920〜30年代の屋敷での日々を思い返す形で物語が紡がれていく。

1956年のイギリスが舞台である本書は、かつては世界の頂点であったイギリスへのノスタルジーで埋め尽くされていて、セピア色の小説ともいえる。
象徴的なのは主人公スティーブンスの現在の雇用主が、英国紳士から米国人実業家になっている点だ。これが、かつての栄華を極めたイギリスがそこ(1956年現在)にはないことを、最も端的に表している。

執事らしく雇用主に忠実で、控えめな性格のスティーブンスが語る過去の日々は、かなり回りくどく、時にはディテールをぼやけさせる。
そしてこの小説の作りが、本作の根幹であり魅力である。敬愛する以前の主人の人格の素晴らしさや、仕事ぶりを褒め称える挿話が続くのだが、後半になるにつれて次第に引っかかる部分が増えていく。その、「疑問とも言えない引っかかり」を持ったまま読み進めると、最後に訪れる展開にイギリスという国の没落そのものが透けて見えるのだ。

しかし、本書はただ単に時代に取り残されたノスタルジアにまみれた小説ではない。
ネタバレを避けて書くとすれば、スティーブンスが最後に決心する「あること」が、非常に些細ながらも過去の栄光からの脱却を試みる一歩といえるもので、イギリスが進むべき姿勢にも重ねられる。

この記事ではスティーブンスが休暇を取る目的はあえて省かせてもらったが、こちらにも胸を締め付ける物語がある。ぜひ本書を読んでいただき確かめていただきたい。

【余談】

文庫本に収録されている丸谷才一の解説が、ネタバレもあるけど非常に素晴らしく本書の魅力を伝えている。*1ぜひとも解説も含めて読んでいただきたい。

*1:というか、彼の文章に感化されて記事を書きました。