海辺にただようエトセトラ

音楽や映画、本の感想をつらつらと。

最果タヒ『星か獣になる季節』(ちくま文庫)

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詩人・最果タヒによる小説。初出は『早稲田文学』2014年冬季号。2015年2月に筑摩書房より単行本として出版。2018年2月に文庫化。

地下アイドル・愛野真実の応援だけを生き甲斐にするぼくは、ある日、彼女が殺人犯だというニュースを聞く。かわいいだけで努力しか取柄のない凡庸なアイドルである真実ちゃんが殺人犯なんて冤罪に決まっていると、やはり真実ちゃんのファンだという同じクラスのイケメン・森下とともに真相を追い始めるが―。歪んだピュアネスが傷だらけで疾走するポップでダークな青春小説!(Amazonの紹介文より)

7.4/10.0

「ポップでダークな青春小説!」と、「!」がついた言い切りの紹介文。この陰鬱な物語を紹介するのであれば、個人的には「。」で終わらせた方が本作にふさわしいのでは……と、読み終えた今は思う。ネタバレになるので書けないが、それくらい、残酷な物語が展開される。
もう少し、紹介文を頼りに書いていきたい。主人公はクラスでも存在感のない、半透明な男子だ。彼の生きがいはインディーズのアイドルの応援だが、彼女のことを「かわいいだけで努力しか取り柄のない=平凡な女の子」という。自分の半透明な人生は棚に上げたその表現は、「歪んだピュアネス」と言える。

しかし、主人公がアイドルに語りかける形で進む本文は、不思議と誠実さに溢れている。以前の記事で少し書いたが、「自己同化」のような感情が、「平凡な」という言葉=自分自身に帰結しているのだろうか。
平凡であるはずの「きみ」が殺人を犯すわけがない。その衝動を胸に、主人公はクラスメートかつ同じアイドルのファンである森下と、ひたすらに行動を起こしていく。

達成したい目的は同じであるはずなのに、森下と主人公の想いは初めから異なる。この「ズレ」が、物語を最悪の方向へと狂わせる。そういう意味では、本作はコミュニケーションにまつわる物語でもある。登場人物たちは絶望的なまでに理解し合えない。
しかし、「他者を理解する」ということは果たしてどこまで可能なのか。極端なことを言えば、相手が生きてきた分の時間を全て体験しなければ、真に理解することは不可能なのではないだろうか。

物語が前後編に分かれている本書の後編は、そんな「わからない」「わかろうとする」ことにもがく人物たちが言葉を紡ぐ。明確な答えは出ず、それぞれの考えが交わることもない。
苦々しい焦燥感ばかりが募る物語を読み終えると、しかし心は少しばかり軽くなる。「わかろうとしようともがく」、自分の中で薄れていた感情に少し色が戻った気がするからだ。

星にも獣にもならず、音楽や漫画や本(あと、ハードな部活も)で日常をつなぎとめていた17歳の日々を思い出す。
依存ばかりは良くないだろうけど、「書を捨て」るほどまだ読みきれてないと、心は抵抗している。