海辺にただようエトセトラ

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わたしたち/The World of Us

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「オアシス」「シークレット・サンシャイン」の名匠イ・チャンドンが見出した新鋭ユン・ガウン監督が、自身の経験をもとに、いじめやスクールカースト、家庭環境の格差など、現代社会が抱える問題を盛り込みながら、人生で初めて抱く友情や裏切り、嫉妬といった感情に戸惑い、葛藤しながら成長していく子どもたちの姿を描いたドラマ。学校でいつもひとりぼっちだった11歳の小学生の少女ソンは、転校生のジアと親しくなり、友情を築いていくが、新学期になると2人の関係に変化が訪れる。また、共働きの両親を持つソンと、裕福だが問題を抱えるジアの家庭の事情の違いからも、2人は次第に疎遠になってしまう。ソンはジアとの関係を回復しようと努めるが、些細なことからジアの秘密をばらしてしまい……。2016年・第17東京フィルメックスで上映され、観客賞などを受賞した(映画祭上映時タイトル「私たち」)。(http://eiga.com/movie/85794/より)

9.4/10.0

イ・チャンドンはこの頃後進の育成に力を注いでいるようで(『私の少女』など)、本作も新人監督のデビュー作を彼がプロデュースしたものだ。その前情報ゆえか、やはりふとしたショットや物語の運び方に彼の面影を見るようであるが、間違いなく監督本人の作家性も確立している傑作だと思う。

小学生女児の間で繰り広げられるいざこざは、大人にしてみれば非常に幼稚なものに感じてしまうが、「半径5メートルが世界の全て」である子供たちにとっては、その近郊の崩れは世界の終わりを意味する。
子供らしい見栄(による嘘)や噂話の拡大解釈、仲良しグループの派閥……この映画で起こることは、文字にしてしまえば些細な出来事に過ぎないが、ユン・ガウン監督の作り上げた映像を目にすると、あまりの緊迫感に退屈は存在しない。その要因は間違いなく、少女たちの真に迫った演技力のおかげだ。

象徴的なのは冒頭のドッヂボールのシーン。おそらくチームリーダー同士がじゃんけんをしながらチームメンバーを選抜しているのだが、カメラは延々と主人公を写し続ける。運動ができない自分がいつ選ばれるのかという不安と、もはや最後に選ばれることを知った諦めが交差する表情は見事だ。ミニシアター系の映画に足を運ぶナードな人種としては、共感とともに「もうやめてください」と言いたくなるシーンでもある

パンフレットを見ると、監督は子供たちにシーンごとのシチュエーションを伝えるだけで台本の類はほぼ渡していないそうだ。
「私が演じる子はこういう性格で、この状況であればこう動く」という判断をくだしながら行われた演技(多少の監督からの助言はあったにしろ)は凄まじくリアルだ。

そのリアルさに拍車をかけるのはカメラだ。子供目線に落としたカメラを通して見ると、僕たちが普段生活する街が、子供にとってどれだけ大きいかに気付かされる。
インターホンには背伸びしないと届かないし、街で弟とはぐれてしまったら、姉としての責任感ゆえにこの世の終わりかのように商店街を駆け回る。子供には子供の世界があって、決して気楽なものではなかったことを思い出す。

シーンごとの子供たちの表情の繊細な動きに注視していれば、あっという間にエンディングとなる。いざこざの果てに生まれた最後のシーンがまた非常に印象深い。彼女の行為は果たして何を意味するのか。受け手の解釈によって様々な捉え方ができる作品だと思う。